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元日産自動車取締役・奥野信亮氏インタビュー 「ゴーンは自分さえ稼げばよい」「イエスマンだけ残り、ガバナンスに問題」

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 日産の取締役だった平成11年、副社長から「ゴーンがくるんだけど、お前がいたら大げんかになる」といわれた。「そうだね」といって、ゴーンが日産社長になる2カ月前に辞め(子会社の社長になった)。上の人たちも配慮してくれたんだね。

 「最強のコストカッターがくる」と話題になっていた。ゴーンが日産に来るのは(フランスの自動車大手)ルノーのチョイス。「強欲」という評判は当時は聞かなかった。経営会議などで議論はしたが、社長が「決めてきた」というのだから、しようがない。当時のトップがバカだった。

 ゴーンを最初に見たのは11年5月。日産の役員食堂でひとりでピラフを食べていた。

 〈12年3月、奥野氏は別の日産子会社と合併するためにゴーン氏と交渉。最初は難色を示していたが「1億円の利益を出す」「リスクは奥野氏側へ」などの条件で合意した。しかし1週間後にゴーン氏の側近から「利益は6億円」とハードルを上げられた〉

 そういうこともあって、13年に日産から(子会社を買い取り)独立した。ゴーンは売らないと感じていたが、交渉したら割と素直に「いいよ」と。彼は自分の成果を出さなきゃいけないから、金に換えられるものはどんどん換えた。ビジネスライクだった。

 日産でのコストカットは、僕らでも分かるアイデアだった。どんどん切った。でも、日本文化にそぐわないものがあった。ダメだよ、と思ったものもある。損害保険や自動車保険は、複数の会社と、お互いに助け合うというやり方をしていた。でも、ゴーンはいちばん安い1社だけ。他は切ってしまう。他社は「もう日産とは付き合わない」となり、車が売れなくなる。だから一時期、業績が悪化したでしょう。

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