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【戦後70年~沖縄(1)】地上戦の災禍(上)慰霊の心どこへ…「あんたらウチナンチュじゃないだろ!」 

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【戦後70年~沖縄(1)】
地上戦の災禍(上)慰霊の心どこへ…「あんたらウチナンチュじゃないだろ!」 

ガマの中で一人遺骨収集を続ける国吉勇さん。半世紀にわたり3500柱を弔ってきた=18日、沖縄県糸満市(松本健吾撮影)

 「これは火炎放射器で焼かれ炭化した米さ…」

 国吉は50年以上にわたり、数百カ所のガマや壕で3500柱を超える遺骨を収集してきた。15年前、自分の会社を息子たちに譲ってからは毎日午前8時から午後2時までツルハシを手に壕内に入る。家族は「危険だからやめて」と反対するが、「ほったらかしはかわいそうだ」と聞く耳を持たない。

 7男3女の六男。昭和20年3月、米軍上陸を前に沖縄本島北部に家族で疎開したときはまだ幼稚園児だった。高齢で足が不自由だった祖母は、自宅近くのガマに高齢の親戚とともに避難させた。半年分の食料を置いていったが、1年後に訪れると死んでいた。祖母の着物の懐には鰹節の欠片。しゃぶって飢えをしのいだのだろうか。

 「バアちゃんはかわいそうなことをした。でも自分たちが逃げるので精いっぱいだったからね」

 疎開した国吉たちも食糧難にあえぎ、米軍の捕虜収容所収監中に母と弟、姪が亡くなった。19年には16歳だった兄も鹿児島に向かう途中で船が撃沈され、死亡した。

 25年ごろ、小学生だった国吉は友達とガマで「探検ごっこ」をしているとき、何かにつまずいて転んだ。女性用の着物や軍服を着たままミイラ化した遺体だった。当時はどのガマもそんなふうだった。

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