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【戦後70年~沖縄(1)】地上戦の災禍(上)慰霊の心どこへ…「あんたらウチナンチュじゃないだろ!」 

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【戦後70年~沖縄(1)】
地上戦の災禍(上)慰霊の心どこへ…「あんたらウチナンチュじゃないだろ!」 

ガマの中で一人遺骨収集を続ける国吉勇さん。半世紀にわたり3500柱を弔ってきた=18日、沖縄県糸満市(松本健吾撮影)

 米陸軍省の報告書では「沖縄で払った代償は高価なものだった。米軍の死傷者の最終的な対価は、日本軍に対するどの方面作戦で経験したものより高かった」と総括している。

 残念ながら戦後日本での沖縄戦の評価は総じて厳しい。大本営が20年1月の帝国陸海軍作戦計画大綱で「沖縄作戦は本土戦備のために時間を稼ぐ持久戦である」と位置づけたこともあり、「沖縄は捨て石にされた」という批判もある。

 だが、本当に沖縄が捨て石だったならば、大兵力を投じて守ろうとはしない。第32軍以外にも、沖縄防衛のため多くの特攻隊員が散り、戦艦大和も海上特攻を決行、鹿児島沖で撃沈された。沖縄を見捨てず、守ろうとしたがために被害が拡大したとみるべきだろう。

 海軍陸戦隊を率いて戦った少将の大田実は6月13日の玉砕直前に海軍次官に送った電報で、沖縄県民の協力と支援をたたえ、その窮状を訴えた上でこう結んだ。

 「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」

   × × ×

 液体が残る薬瓶、ボタン、茶碗-。那覇市の自宅を「戦争資料館」にした国吉勇(76)の事務所には、このような品々20万点超が所狭しと並ぶ。いずれもガマと呼ばれる洞窟で遺骨収集した際に見つかった遺留品だ。持ち主が分かれば糸満市の戦没者遺骨収集情報センターを通じて遺族に返すが、分からないものはここで保管している。国吉は黒い塊を手に取った。

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