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【戦後70年~沖縄(1)】地上戦の災禍(上)慰霊の心どこへ…「あんたらウチナンチュじゃないだろ!」 

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【戦後70年~沖縄(1)】
地上戦の災禍(上)慰霊の心どこへ…「あんたらウチナンチュじゃないだろ!」 

ガマの中で一人遺骨収集を続ける国吉勇さん。半世紀にわたり3500柱を弔ってきた=18日、沖縄県糸満市(松本健吾撮影)

 日本軍も2島を死守すべく動いた。大本営は直轄部隊として、硫黄島に陸軍中将、栗林忠道指揮下の小笠原兵団約2万1千人を、沖縄には陸軍中将、牛島満の下に第32軍約8万6千人を配備した。

 一方、米軍は19年10月25日、対沖縄攻略「アイスバーグ(氷山)作戦」を正式決定。直前の10月10日に沖縄本島に艦載機による大規模空襲を行い、那覇市街地の9割を焼失させた。

 硫黄島で栗林率いる守備隊が玉砕した直後の20年3月26日、米陸軍中将のバックナー率いる第10軍は慶良間諸島に上陸。4月1日早朝から沖縄本島侵攻を敢行し、その日のうちに北(読谷村)、中(嘉手納町)の両飛行場を占領した。

 これほどあっさり上陸できたのは、牛島が水際決戦を避け、首里(那覇市)に陣を固め、持久戦に持ち込んだからだ。

 すでに制空権、制海権を奪っていた米軍はごく短期間での占領を想定していたが、日本軍はしぶとく戦った。それでもジリジリと南端の摩文仁に追い詰められ、牛島は6月23日に自決、組織的戦闘はここで終結した。

 沖縄戦で米軍が投じた艦艇は約1500隻、兵力は延べ54万8千人、艦砲射撃などで使用した砲弾は約270万発に上った。「鉄の暴風」といわれるすさまじい攻撃を仕掛けながら沖縄攻略に3カ月を要し、司令官のバックナーを含む1万2千人超が戦死した。

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