活動家はどこへ消えた? 北部訓練場返還から1年半 「ヘリうるさいが、静寂戻った」

 
移設反対派が集まったかつての光景とは様変わりした、米軍北部訓練場の「N1ゲート」前=14日午後、沖縄県東村高江(杉本康士撮影)

 沖縄県の米海兵隊北部訓練場(東村、国頭村)の半分以上の面積が返還されてから22日で1年半となる。昭和47年に沖縄県が本土復帰して以降最大規模の返還だ。弾薬除去や土壌除染を行った上で地権者に正式返還されてから間もなく半年。かつて現場周辺に集まった活動家の姿はほとんどなく、かつての喧噪(けんそう)は嘘のようだった。

 返還されたのは北部訓練場の7543ヘクタールのうち4010ヘクタール。政府は沖縄の負担軽減の目玉と位置づけている。今年2月には絶滅危惧種のヤンバルホオヒゲコウモリが見つかり、7月に訓練場跡地を国立公園に編入する方針だ。世界自然遺産の候補地にもなっている。

 「変わったことはないですか? 何かあったら教えてください」

 返還条件として新たに設置されたヘリパッドに近い東村高江地区の仲嶺久美子区長(68)の携帯電話には折に触れて菅義偉官房長官から連絡がある。集落上空は午後11時近くまで垂直離着陸機オスプレイが飛行することもある。東村議会は20日、集落近くのN4地区にあるヘリパッド2カ所の撤去を求める決議を可決した。

 日米軍事筋によると、N4地区は兵舎地区の近くにあり、利用価値が高い。防衛省も米軍側に使用頻度を減らすよう求めているが、高江地区の住民は「状況は改善されていない」と口をそろえる。

 その高江地区には移設工事が完成するまで100人規模の活動家が集まり、「高江の人のため」と訴えていた。住民が不満を募らせる今こそ活発な運動を展開していると思いきや、現場周辺は閑散としていた。政府は8月17日に米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設先である名護市辺野古の埋め立てに着手する方針で、活動の主戦場は辺野古に移ったというわけだ。

 反対派が設置した高江地区のテントには当番制で2人が陣取っているという。台風6号が接近した今月16日はテントが撤去され、誰もいなかった。政府関係者によると、活動家は正門ゲート前でときおり米軍車両を妨害しているが、組織的な動きはないという。

 14日にテントにいた安次嶺雪音さん(47)は、今年4月に高江地区に隣接する国頭村に引っ越した。「いつオスプレイが落ちるか分からない不安と騒音で普通に暮らすことができなくなった」と語る。「機動隊がいて、反対する人たちがいて、罵声が飛び交って…。ずっとあれが続くのは精神的にきつかった」とも打ち明けた。

 一方で高江地区には今年に入り、1歳の子供を持つ家族が新たに移り住んできた。今も高江地区に残る住民は「ヘリはうるさいが、活動家がいなくなって元の静寂が戻った」と話す。活動家は工事車両を阻止するため車で道路をふさぎ、地元住民の検問も行っていたからだ。

 仲嶺区長のもとには今もヘリ騒音に関する苦情が寄せられる。だが、かつて相次いだ活動家に対する苦情はなくなったという。(杉本康士)