【平成30年史 政界再編(1)】黒い「利権トライアングル」 全ての始まりはリクルートだった - 産経ニュース

【平成30年史 政界再編(1)】黒い「利権トライアングル」 全ての始まりはリクルートだった

未公開株の譲渡で大きな問題となったリクルートコスモス社(当時)
 昭和の終焉(しゅうえん)が近づいていた60年代のある日、記者は東京・歌舞伎町のスナックにいた。待ち合わせていた相手は東京地検特捜部が内偵中の贈収賄事件の参考人で、特捜検事の事情聴取を終えて自宅に帰る途中だった。カウンター席が8席の小さな店内ではサラリーマン風の男性客が2人、マイクを片手に声をからしていた。
 壁際の席に腰を下ろした男は、グラスのビールをのどに流し込む。そして背中を丸めながら、周囲を気にするようにつぶやいた。
 「今度の事件は捜査次第で日本は潰れるかもしれないよ」
 聞き耳を立てる記者に、記憶を確認するように金銭授受の一部始終を再現してみせた。大物政治家の名前も口にした。
 「検事は何と…」
 「メモをとっていたが、別れ際、誰にも言うなとクギを刺された」
 結局、この事件は表面化しなかったが、特捜部は昭和60年代から平成にかけ、旧平和相互銀行事件やリクルート事件、東京佐川急便事件など、矢継ぎ早に政界汚職に切り込んだ。特にリクルート事件は、利権体質を支え合う「鉄のトライアングル(三角関係)」と称された政界、官界、財界の3者をのみ込む大型疑獄事件へと拡大した。
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 リクルート社の創業者、江副浩正は昭和59年12月から60年4月にかけ、リクルートコスモス社の未公開株を政治家や関係官庁幹部、産業界の有力者らに低廉な価格で譲渡していた。
 未公開株は店頭公開後の株価高騰が確実視されており、売却益を見越した「裏献金」ともいえるものだった。この未公開株問題は63年6月、川崎市助役への譲渡が発覚したことで一気に表面化する。
 前首相の中曽根康弘や自民党幹事長の安倍晋太郎、蔵相の宮沢喜一らが秘書名義で譲渡を受けていたと報じられると、マスコミ各社の取材合戦も激しくなり、有力政治家の名前が続々と白日の下にさらされた。自民党だけでなく野党も、そして官界も財界も「リクルート汚染」一色に包まれていった。
 特捜部は年号が平成に変わった2月、江副を贈賄容疑で逮捕する。対象者の多さから、捜査は株や現金の流れによって、政界ルート▽文部省(現文部科学省)ルート▽労働省(現厚生労働省)ルート▽NTTルート-の4つに分かれて展開された。
 延べ1万9321人の捜査員を260日にわたり動員。事情聴取した参考人は610人に達し、家宅捜索は80カ所、押収物は約7900点に上った。その結果、19人を逮捕し、21人を起訴した。
 当時の検察関係者によると、政界ルートでは、特捜部は「江副と中曽根の関係はかなり濃密」と判断していた。中曽根の秘書ら3人に計2万9千株の未公開株が渡り、およそ6千万円の利益を得ていたことをつかんでいた。検察でいう「射程圏内にあった」とされるが、職務権限と結びつかず立件は見送られたという。
 公明党衆院議員、池田克也と自民党の元官房長官、藤波孝生が未公開株と現金供与を受けたとして在宅起訴されたほか、議員秘書ら4人が略式起訴されただけだった。事件の真相はやぶの中ということか。
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 人事権を握る政治家は官僚に強く、許認可権をもつ官僚は業者に強い。そして金と票をもつ業者は政治家に強い-。この「トライアングル」は補完し合うことで力を増していた。業者は政治家を通して官僚への食い込みを図る。リクルート事件も同じ構図だった。
 政界の腐敗摘発を使命とする特捜検察は、常に「政・官・業(財界)」の三角関係に睨(にら)みをきかせてきた。それだけに、自民党と緊張関係にあった。捜査を牽制(けんせい)するようなさまざまな「雑音」が直接、あるいは間接的に入ってきたという。
 捜査関係者は「自民党の有力議員から『検察も国家の機関なら予算の成立を優先に考えて捜査をやるべきだ』『特捜部は関東軍だ』と横やりが入ったこともある」と振り返る。別の検察関係者も「(NTT初代社長の)真藤恒を逮捕した際には、検察OBの弁護士が『なぜ逮捕する。検察は経済取引を犯罪だとねじ曲げている』と怒鳴り込んできた」と話した。
 当時の検察幹部はこう語った。「国政を考えると立件するのは氷山の一角にならざるを得ないこともある。だが、政治家が暴走すると一罰百戒でお灸(きゅう)を据える材料はある。立件は見送ったが、尻尾をつかんでいるというメッセージは伝わっている」
 ■「権力闘争」の行き着いた先は
 リクルート事件は、特捜部が過去に摘発した造船疑獄事件やロッキード事件と肩を並べる政界、官界、財界を巻き込んだ大疑獄事件となったが、その背景には当時が「金権政治」の全盛期だったことがある。
 「マージャンをやっていたら過熱してレートが高くなりすぎた。ゼロをひとつ取ったが、それでも100万円単位だった」
 「(大物政治家の)自宅に行ったら金庫が2つ置いてあり、3千万円ずつ現金が入っていた」
 永田町ではそんな話がゴロゴロしていた。膨らんだカネの出どころは不確かなことが多かった。
 昭和36年7月、自民党の政治資金団体「国民政治協会」が発足し、財界が自民党の大スポンサーになった。当時を知る財界関係者によると、財界大物がカネの力にものをいわせ自民党総裁選の裏で動いたこともあったという。
 51年に発覚したロッキード事件など「政治とカネ」の問題が起きるたびに政治資金規正法が改正され、政治家は自力で資金を集めなければならなくなった。
 その一方で、選挙にかけるカネは増え続けた。中選挙区制で、政策に違いがない自民党議員同士が激しい選挙戦を繰り広げるため、資金力や利益誘導などで競うようになったからだ。その結果、金銭感覚はさらにまひした。
 産業界も官僚主導の政策決定や中央官庁の許認可に関与するには自民党の有力な「族議員」を押さえておけばよかったが、幅広く手を打たなければ政策決定などをコントロールできなくなっていった。実際、リクルート社も職務権限がない国会議員にまで未公開株をばらまく“じゅうたん爆撃”を仕掛けていた。
 政・官・業の「癒着」が微妙に変化していく中で起きたリクルート事件。特捜部の検事は多かれ少なかれ、ベテラン議員や大企業トップら「大物を挙げてこそ」という意気込みがあるというが、事件は当初の広がりからすれば首をかしげるような結末に着地した。ただ、検察は捜査力と存在意義を世に知らしめ、「政治とカネ」の問題を国民に強く問いかけた。
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 特捜部がリクルート事件に続いて手がけたのが、東京佐川急便事件だった。平成4年8月、東京佐川急便の元社長から自民党副総裁、金丸信への5億円献金問題が表面化した。元幹事長の小沢一郎は首相、宮沢喜一に「恣意(しい)的な権力の執行はよろしくない」と訴えたが、約1カ月後、金丸は政治資金規正法違反の罪で略式起訴される。
 金丸が率いる自民党最大派閥の竹下派(経世会)は当時、全国に張り巡らした支持組織や地方議員のネットワークを武器に、政・官・業のトライアングルの中心に君臨していた。その「本丸」に特捜部は切り込んだ。
 小沢は、これまで国会議員が政治団体のことで直接刑事責任を問われることはなかったのに今回はなぜ刑事責任を問うのか、と釈然としないでいた。
 リクルート事件で大物政治家たちは軒並み立件をまぬがれ、国民の「政治不信」は高まっていた。それだけに、特捜部は東京佐川急便事件では、捜査を牽制(けんせい)する永田町からの「雑音」を避けるため、国民世論を味方につけようと動いていた。
 小沢は徹底抗戦の戦略を描いたが、党国対委員長の梶山静六ら反小沢系の竹下派有力議員はさっさとけりをつけた方がよいと考え、特捜部の動きを黙認した。派内の主導権争い、権力闘争に検察捜査を利用したという構図だった。
 小沢は後年、「権力闘争的な面もあった」と周囲に語っている。行き着いた先は竹下派分裂だった。それは自民党下野、55年体制崩壊の引き金となり、今も続く政界流動化につながっていく。(敬称略、肩書は当時)