だから先祖返りか、間違ってできた政党が持論の「希望」のセンセイはだれ?  

野党ウオッチ
民進党時代、加計学園疑惑調査チームのメンバーとして公開質問状を手に首相官邸を訪れた今井雅人氏(中央)ら=昨年6月27日(斎藤良雄撮影)

 公約を守らない政治家や政党は少なくないが、選挙後に堂々と公約を書き換える政党が現れるとは思わなかった。有権者の思いはどこ吹く風で「ボタンのかけ違いを整理する」だって? そんなトンチンカンな主張を真顔で繰り広げられても…。(※2月6日にアップされた記事を再掲載しています)

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 旧聞に属する話だが、平成21年の衆院選では、地滑り的勝利で政権交代をなしとげた民主党から143人もの新人議員が誕生した。このうち、次の24年衆院選で民主党候補として当選したのはわずか5人である。政権交代時の民主党への追い風によって「風頼み」の議員が量産された実態がよく分かる。

 裏を返せば、生き残った5人は、これからの非自民勢力を背負って立つポテンシャルを備えた政治家とみることもできる。民主党にとって24年の衆院選は、政権運営の失敗に対する審判が突きつけられた極めて厳しい選挙だった。「民主党と名乗るだけで石を投げつけられそうな雰囲気」(閣僚経験者)の戦いを、若手ながら勝ち抜いた実力はおおいに評価されるべきだ。

 この5人は今も同じ政党に所属している。希望の党の玉木雄一郎代表(48)と岸本周平幹事長代理(61)、奥野総一郎筆頭副幹事長(53)、大西健介選対委員長(46)、後藤祐一行政改革・情報公開推進本部長(48)である。

 執行部の中枢に精鋭を据えているはずの政党が、なぜ迷走に迷走を重ねているのか理解に苦しむ。

 希望の党は1月26日の両院議員懇談会で、衆院選で訴えた安全保障法制の実質的容認と憲法9条改正への積極姿勢を軌道修正する党見解を発表した。

 公約に明記されていた「現行の安保法制は憲法に則(のっと)り適切に運用します」の文言は「武力行使の新3要件」の削除をうたう表現に変わった。憲法改正の章の冒頭に記されていた「9条を含め憲法改正論議を進めます」という宣言は姿を消し、「まずは、地方自治の仕組み、衆院解散の条件、知る権利などの新しい人権、参院の構成や権限、教育を受ける権利の拡充などを優先的に議論する」と改められた。

 わずか3カ月前の選挙で掲げた公約を平然とひっくり返す姿勢はいただけない。「舌の根も乾かぬうちに」とは、まさにこのことではないか。

 党見解を発表した狙いは、民進党などに近い政策を示し、野党共闘路線に軸足を移すことにある。玉木氏は、民進党系3野党の再結集を念頭に「野党の大きなかたまりを作るために統一会派結成を主体的に働きかけたい」と表明した。

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 「(希望の党への合流を決めた)昨年9月28日の民進党両院議員総会の前に戻りたい。民進党時代の仲間たちと、また一緒にやりたい…」

 両院議員懇談会でこう述べたのは今井雅人国対委員長代理(55)である。希望の党の公約を踏まえ票を投じた有権者のことなど全く眼中にない発言だ。

 今井氏は党見解の素案をまとめた一人で、玉木氏にも近い。

 希望の党は「間違ってできてしまった政党」だというのが今井氏の持論である。1月16日のツイッターへの投稿では、合流時に民進党出身者が署名した政策協定書(いわゆる「踏み絵」)に関し「詰める時間がなかったことが今も尾を引いている」「ボタンのかけ違いをハッキリと整理することだ」と主張した。内容を詰め切れずに踏んだ「踏み絵」の内容は無効だ、という言い分だ。

 今井氏は素案作りの際、昨年の衆院選に向けて民進党が作成中だった公約案を下敷きにした。希望の党への合流に伴い民進党は公認候補を立てなかったため、結局はお蔵入りになった公約案だが、28年の参院選などでの民進党の訴えをほぼ踏襲した内容だ。民進党への「先祖返り」の姿勢を鮮明に示すことで、希望の党との連携を忌避する衆院の民進党系会派「無所属の会」にすり寄ろうという計算である。憲法9条を改正議論の優先対象から外したのも民進党を意識しての判断だった。

 両院議員懇談会の数日前、古川元久幹事長(52)に党見解の素案を提出した今井氏はこう胸を張った。

 「民進党時代の考えだ。何もおかしくはない」

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 合流は間違いだったのだから、時計の針を昨年9月28日の前に戻さなくてはならない-。百歩譲ってこの論法を理解するにしても、その場合、比例代表で当選した者はバッジを外さなければ筋が通らない。比例当選者は、党が掲げた公約への信任以外に議員である根拠はないからだ。

 今井氏は過去4回の衆院選全てに違う政党から立候補し、いずれも比例復活当選している。

 玉木氏らと同じく21年の衆院選で民主党から初当選したが、その後は大きく異なる道を歩んできた。失速著しい民主党から逃げ出した今井氏は24年の衆院選に、当時の橋下徹大阪市長(48)が率いた日本維新の会から立候補した。橋下氏は後に、今井氏を次のように批判している。

 「野田(佳彦)政権がもうダメだとなったとき、自分だけはとにかく当選するために、まさに保身のために、僕に助けを求めてきた」

 「岐阜の自分の選挙区にとにかく応援に入ってくれと、しつこくしつこく言われた」

 今井氏が比例復活当選者である以上、反論の余地はあるまい。ボロボロの民主党の看板を背負って選挙を戦い、なおかつ勝ち上がってきた玉木氏らとは実に対照的である。

 24年9月25日、民主党幹事長室に離党届を持参した今井氏が語った言葉を私は今でも覚えている。

 「(国会議員の)定数削減などの『身を切る改革』ができなかった。一つのけじめをつけたいということで、離党ということになった」

 しかし、威勢よく口にした「けじめ」もどこへやら。今井氏はその後、あっさりと古巣への“復党”を果たす。橋下氏らと決別した今井氏らの維新の党は28年3月、民主党に事実上吸収されて民進党の結党に至った。今井氏が離れている間に、民主党が「身を切る改革」に前のめりになったとは寡聞にして知らない。

 ちなみに、両党の合流直前の28年2月26日、今井氏は維新の党幹事長としての記者会見で、同年夏の参院選について次のように語っている。

 「ここで改憲勢力に3分の2をとられてしまうことは政治的に大敗北になる」

 維新の党は26年衆院選の公約に「憲法改正」を明記し、今井氏はその政党の比例枠で当選している。こうした過去の発言を振り返ると、希望の党の「先祖返り」に一役買ったことくらい驚くに値しないのかもしれない。

 希望の党のあるベテラン議員は、民進党を離れた直後にこんな理想を語っていた。

 「地域の豪族みたいなのを集めたほうがいい。ピン(1人)で勝てるやつが集まってナンボだ」

 確かに、自らの力で与党候補に勝てる者が結集してこそ、政権交代は現実味を帯びる。選挙に弱い議員を重用している野党は、自公政権打倒への本気度に欠けると断じていい。

 4回連続比例復活当選の政治家では、政権奪取の役に立ちはしない。希望の党が真っ先に「排除」しなければならないのは、党の看板だけに頼ってバッジをつけ続けている変節漢である。 (政治部 松本学)

 今井雅人(いまい・まさと) 昭和37年2月、岐阜県下呂市生まれ。上智大文学部卒。三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)勤務などを経て、平成21年の衆院選で民主党公認で初当選した。24年の衆院選は日本維新の会、26年は維新の党、昨年は希望の党から出馬し、いずれも比例復活当選。剣道七段。