旧軍の遺構巡る舞鶴の旅【360°パノラマ】
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明治時代からの軍港としての面影を残す京都府舞鶴市。現在も赤れんが倉庫や要塞といった旧軍の遺構が残る。「日本近代化の躍動を体感できるまち」として日本遺産に認定され、観光名所としても人気が高い。今月1、7日には普段は非公開の施設も含む構成文化財を巡るツアーがあり、記者も同行し明治日本の近代化の足跡を取材した。
険しい山道を登ること1時間。標高約200メートルの山頂にれんが造りの旧陸軍弾薬庫が突然現れる。土で覆われた屋根の上には草木が鬱蒼(うっそう)と生い茂り、今にも崩れそうな壁が刻んだ年月の長さを思わせる。
この一帯は、葦谷(あしだに)砲台跡。明治30年代に旧陸軍がロシアとの戦争に備え舞鶴湾の湾口部にある国見山に設けた要塞で、砲6門が設置された。だが、実戦では一度も使われることがないまま先の大戦後に廃棄され、現在は地面にぽっかりと空いた砲座跡のみが残る。
ツアーでは、要塞以外の舞鶴の旧軍遺構も紹介している。軍用水道施設もその一つだ。
明治33年、艦船の飲料水を確保するため、市内を流れる与保呂(よほろ)川上流に桂貯水池を造成し、市街地までの約8キロを結ぶ水道がつくられた。
下流には同34年建設の旧北吸浄水場がある。足を踏み入れると異世界に迷い込んだような感覚になる。足元はじわりと湧き出た水で湿っていて、見上げれば水が滞留するのを防ぐためのれんがの壁がそびえたつ。参加者らは壁にアーチ状に積まれたれんがを眺めたり、波をモチーフにした海軍のマーク「M」を見つけたりして楽しんでいた。(2020年11月1・7日、渡辺恭晃撮影撮影)
(撮影機材:リコー THETA SC )
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