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あの日と今、10年の境界【東日本大震災10年】

東日本大震災

あの日と今、10年の境界【東日本大震災10年】

更新 sty2103090005
 15メートルを超える津波に襲われた宮城県南三陸町の防災対策庁舎(右)。「高台へ避難してください」という防災無線による職員の呼びかけは津波が到達するまで繰り返し続けられた。現在(左)、周辺は「町震災復興祈念公園」に、防災庁舎は震災遺構として整備され、地震と津波の脅威を伝えている  15メートルを超える津波に襲われた宮城県南三陸町の防災対策庁舎(右)。「高台へ避難してください」という防災無線による職員の呼びかけは津波が到達するまで繰り返し続けられた。現在(左)、周辺は「町震災復興祈念公園」に、防災庁舎は震災遺構として整備され、地震と津波の脅威を伝えている
 廃虚と化した岩手県陸前高田市の中心街(左)、津波の直撃を受けながらも残った米沢商会ビル(中央の建物)。周囲は最大で約12メートルかさ上げされ、商業施設「アバッセたかた」が開業した(右)
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 廃虚と化した岩手県陸前高田市の中心街(左)、津波の直撃を受けながらも残った米沢商会ビル(中央の建物)。周囲は最大で約12メートルかさ上げされ、商業施設「アバッセたかた」が開業した(右)フルスクリーンで見る 閉じる

 津波で変わり果てた風景を前に呆然(ぼうぜん)と立ち尽くしたあの日から10年が経過する。震災直後と現在の写真を合わせて、この間の変化を1枚の写真にした。風化していく震災の記憶をつなぎ留める一助になれば-。願いを込め、上空から被災地の今を撮影した。(写真報道局 川口良介)

 1枚の写真の中で、2月25日に撮影した現在の様子と、震災直後の平成23年3月12日と27日に撮影した被災地をつなぎ合わせた。いずれも本社ヘリから撮影

 津波でJR大船渡線・鹿折唐桑(ししおりからくわ)駅近くまで打ち上げられた大型漁船「第18共徳丸」(左)。「震災遺構に」との声もあったが、平成25年に解体された。現在(右)、周辺は整備され、大船渡線はBRT(バス高速輸送システム)の路線となっている =宮城県気仙沼市
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 津波でJR大船渡線・鹿折唐桑(ししおりからくわ)駅近くまで打ち上げられた大型漁船「第18共徳丸」(左)。「震災遺構に」との声もあったが、平成25年に解体された。現在(右)、周辺は整備され、大船渡線はBRT(バス高速輸送システム)の路線となっている =宮城県気仙沼市フルスクリーンで見る 閉じる
 三角屋根が特徴的なJR旧野蒜(のびる)駅。震災翌月、在日米軍と自衛隊による「ソウルトレイン作戦」で駅舎の復旧作業が進められた。現在の駅は内陸側に約500メートル移設され、旧駅舎は震災遺構として役目を変えて残る(右) =宮城県東松島市
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 三角屋根が特徴的なJR旧野蒜(のびる)駅。震災翌月、在日米軍と自衛隊による「ソウルトレイン作戦」で駅舎の復旧作業が進められた。現在の駅は内陸側に約500メートル移設され、旧駅舎は震災遺構として役目を変えて残る(右) =宮城県東松島市フルスクリーンで見る 閉じる
壊滅的な被害を受けた岩手県大船渡市の沿岸部。震災直後の写真(左)には、大船渡港近くの工場地帯で火災が発生し、黒煙が上がる様子が写っている
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壊滅的な被害を受けた岩手県大船渡市の沿岸部。震災直後の写真(左)には、大船渡港近くの工場地帯で火災が発生し、黒煙が上がる様子が写っているフルスクリーンで見る 閉じる
 東日本大震災の津波により甚大な被害を受けた宮城県南三陸町。震災の翌日に本社ヘリから撮影された町中心部は、汚泥にまみれたがれきが散乱、水もまだ引かないなか、廃墟のような建物が残る荒れはてた光景だった。 あれからまもなく10年。同じ場所はかさ上げされ「南三陸町震災復興祈念公園」として整備された。津波に耐えた結婚式場「高野会館」(中央)は、当時の姿を残し、震災遺構として保存されている
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 東日本大震災の津波により甚大な被害を受けた宮城県南三陸町。震災の翌日に本社ヘリから撮影された町中心部は、汚泥にまみれたがれきが散乱、水もまだ引かないなか、廃墟のような建物が残る荒れはてた光景だった。 あれからまもなく10年。同じ場所はかさ上げされ「南三陸町震災復興祈念公園」として整備された。津波に耐えた結婚式場「高野会館」(中央)は、当時の姿を残し、震災遺構として保存されているフルスクリーンで見る 閉じる

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