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被災庁舎の保存、今も揺れる住民たち 宮城・南三陸町

東日本大震災

被災庁舎の保存、今も揺れる住民たち 宮城・南三陸町

更新 sty2011110018
10月に全面開園した震災復興祈念公園の旧防災対策庁舎 =宮城県南三陸町(萩原悠久人撮影) 10月に全面開園した震災復興祈念公園の旧防災対策庁舎 =宮城県南三陸町(萩原悠久人撮影)

 東日本大震災は11日で発生から9年8カ月を迎えた。800人以上が犠牲となった宮城県南三陸町では震災犠牲者の追悼施設「南三陸町震災復興祈念公園」が先月、全面開園した。ただ、園内にある震災遺構「旧防災対策庁舎」の保存をめぐり、町民の心は今も揺れ動いている。(塔野岡剛)

10月に全面開園した震災復興祈念公園。右は旧防災対策庁舎 =宮城県南三陸町(萩原悠久人撮影)
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10月に全面開園した震災復興祈念公園。右は旧防災対策庁舎 =宮城県南三陸町(萩原悠久人撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 広さ約6.3ヘクタールの公園の一角に、鉄骨だけの姿になった旧庁舎がある。町職員ら43人が犠牲になった旧庁舎の保存の是非をめぐり、震災直後から町の意見は2つに割れた。

 「教訓を伝える」「見るのがつらい」。被災し、傷ついた町民の間に摩擦が生まれた。町議会での採決を受けて一度は解体が決まったが、平成27年に県有化が決定。令和13年3月まで県の所有となったこともあり、保存の是非を問う議論は継続案件となった。

流れに任せたい

10月に全面開園した震災復興祈念公園の旧防災対策庁舎。奥は南三陸さんさん商店街 =宮城県南三陸町(萩原悠久人撮影)
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10月に全面開園した震災復興祈念公園の旧防災対策庁舎。奥は南三陸さんさん商店街 =宮城県南三陸町(萩原悠久人撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 時間の経過とともに復興への歩みを着実に進めている南三陸町。だが、旧庁舎に対する複雑な町民の思いは、今もなお一筋に交わることはない。

 震災後、約10メートルかさ上げされた土地に整備された「南三陸さんさん商店街」。この商店街で写真館「佐良スタジオ」を営む佐藤信一さん(54)はあの日、高台に逃げて難を逃れた。15メートルを超える大津波に襲われる町に、カメラを向けた。以来、レンズ越しに町の定点観測を続ける。

10月に全面開園した震災復興祈念公園の旧防災対策庁舎 =宮城県南三陸町(萩原悠久人撮影)
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10月に全面開園した震災復興祈念公園の旧防災対策庁舎 =宮城県南三陸町(萩原悠久人撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 震災発生当日に撮った写真には、旧庁舎の姿が収められている。

 「人々が流されていく瞬間を撮ってしまったという罪悪感もある。だから、あの日のことを説明する義務がある。残してもらいたい」

 商店街で文具店「フレンズ」を営む熊谷和平さん(65)は「この場所は10メートルもかさ上げして一般住居は建てられず、昔みたいな町並みではないけれど、店は震災前とほとんど同じ場所に再建させてもらった」と感謝の思いを口にする。

震災復興公園と南三陸さんさん商店街を結ぶ中橋 =宮城県南三陸町(萩原悠久人撮影)
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震災復興公園と南三陸さんさん商店街を結ぶ中橋 =宮城県南三陸町(萩原悠久人撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 ただ、祈念公園に足を踏み入れると、心が揺れる。震災時、町議会事務局長を務め、屋上に避難していた弟、良雄さん=当時(54)=が津波にのまれ、現在も行方は分かっていないからだ。

10月に全面開園した震災復興祈念公園 =宮城県南三陸町(萩原悠久人撮影)
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 熊谷さんは「津波の高さ、威力がわかる」とした上で、保存の是非については「流れに任せたい」という。「遺族として、残したいという思いもあるが、見たくないという人もいる中で、(保存を)強制したくもない。解体となれば仕方ない」。熊谷さんは自らに言い聞かせた。

判断材料足りぬ

10月に全面開園した震災復興祈念公園 =宮城県南三陸町(萩原悠久人撮影)
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 町観光協会職員の及川渉さん(38)は震災で、町企画課長だった父、逸也さん=当時(56)=を旧庁舎の屋上で亡くした。公園ができた町並みに「今後はさんさん商店街と公園のエリアを町民や外から訪れる人がどう使うか、考えなければならない」と強調する。

震災復興祈念公園(右側)と南三陸さんさん商店街(左側) =宮城県南三陸町(萩原悠久人撮影)
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震災復興祈念公園(右側)と南三陸さんさん商店街(左側) =宮城県南三陸町(萩原悠久人撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 及川さんは今年2月、「防災庁舎について考える会」を発足。「復興も落ち着いてきて、県有化期間も折り返しに差し掛かっている。そろそろ議論をスタートさせようと思った」と話す。

 及川さんには今月中にも第1子が生まれる予定だ。

南三陸さんさん商店街 =宮城県南三陸町(萩原悠久人撮影)
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南三陸さんさん商店街 =宮城県南三陸町(萩原悠久人撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 「未来につながる防災の伝承のために、『モノ』に固執することはないが、(保存か解体か)判断材料がまだ足りていない。今後、残すには維持費として税金もかかる。それを町の子供たちに課すのか。将来、負担を背負うことになる子供たちにプロセスも見せなければならない」

■関連【東日本大震災パノラマ】被災した「防災対策庁舎」(2011年3月19日-2020年3月8日撮影)

■関連【東日本大震災パノラマ】「防災対策庁舎」の内部(2012年7月10日撮影)

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