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五奉行、秀吉病死を秘匿か 九鬼氏に「髪そるな」書状 

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五奉行、秀吉病死を秘匿か 九鬼氏に「髪そるな」書状 

更新 sty2006120001
 戦国大名九鬼嘉隆と守隆父子に対し、石田三成ら豊臣政権の五奉行が勝手に髪をそることを禁じた書状(堺市博物館提供)  戦国大名九鬼嘉隆と守隆父子に対し、石田三成ら豊臣政権の五奉行が勝手に髪をそることを禁じた書状(堺市博物館提供)
 九鬼嘉隆の肖像画(三重県鳥羽市の常安寺蔵、同市教委提供)
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 九鬼嘉隆の肖像画(三重県鳥羽市の常安寺蔵、同市教委提供)フルスクリーンで見る 閉じる

 三重県鳥羽市は11日、志摩国鳥羽(現鳥羽市)を拠点に水軍を率いた戦国大名九鬼嘉隆と守隆父子に対して、石田三成ら豊臣政権の五奉行が勝手に髪をそることを禁じた書状が見つかったと発表した。病死した豊臣秀吉に弔意を示そうとした九鬼父子に対し、秀吉の死を隠そうとした五奉行がとがめたとみられる。
 書状は縦約17センチ、横約63センチで、1598年に秀吉が病死した後のものと推定される。五奉行の名前で「豊臣政権の許可なく、勝手に法体になることは固く禁じられているので、そのように心得てください」と記されていた。法体は髪をそることや僧になることを意味する。

 鳥羽市によると、九鬼嘉隆が法体になろうとした記録が見つかったのは初めて。生涯に不明な点が多い嘉隆の動向を知る上で重要な発見としている。

 九鬼嘉隆は織田信長や豊臣秀吉に仕え、朝鮮出兵にも参加した。

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