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【活写2020】航跡 記憶に刻まれた 「宇高航路」宇野港-高松港

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【活写2020】航跡 記憶に刻まれた 「宇高航路」宇野港-高松港

更新 sty2001220001
瀬戸大橋(奥)を横目に高松へ向かう宇高航路のフェリー。橋との共存はかなわなかった =昨年12月14日、高松市沖(恵守乾撮影) 瀬戸大橋(奥)を横目に高松へ向かう宇高航路のフェリー。橋との共存はかなわなかった =昨年12月14日、高松市沖(恵守乾撮影)
運航最終日、高松港に入る宇高航路のフェリー =高松市の女木島山頂から(恵守乾撮影)
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 「(対岸に)見えるのに高松が遠い街になる」

 岡山県玉野市の宇野港。昨年末、ボランティアで周辺の桜並木を手入れしていた食品会社会長、小林文夫さん(83)が、手を止めてつぶやいた。

 宇野港は、高松市の高松港と宇高航路で結ばれていた。国が運航していた宇高連絡船の時代から、109年にわたって本州と四国をつないでいたが、昨年12月15日で運航休止となった。

運航最終日、きらめく瀬戸内海を進む宇高航路のフェリー =高松市の女木島山頂から(恵守乾撮影)
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運航最終日、きらめく瀬戸内海を進む宇高航路のフェリー =高松市の女木島山頂から(恵守乾撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 休止の主な原因は、自動車が「顧客」として重なる瀬戸大橋の登場だ。四国運輸局によると、昭和62年度は民間3社が運航し、約396万人が利用していたが、63年4月の開通以降は減少。2社が撤退した後、残った四国急行フェリー(高松市)も減便を重ね、平成30年度には約13万人まで落ち込んだ。

午後7時50分発宇野港行き最終便には多くの人々が乗船し別れを惜しんだ =高松港(恵守乾撮影)
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午後7時50分発宇野港行き最終便には多くの人々が乗船し別れを惜しんだ =高松港(恵守乾撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 休止のニュースが流れて以降、宇高航路は別れを惜しむ人々で、つかの間のにぎわいを見せた。週末を中心に普段の2~3倍の利用者が押し寄せ、切符売り場には長い列ができた。最終日となった15日の高松港は、関係者が安全運航を祈って鳴らすドラの音と、詰めかけた人々の「さようなら」の声に見送られ、最終便が夜の海に旅立っていった。

関係者が鳴らすドラの音に見送られる宇高航路の最終便 =高松市の高松港(恵守乾撮影)
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関係者が鳴らすドラの音に見送られる宇高航路の最終便 =高松市の高松港(恵守乾撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 あれから1か月。別れを惜しむ乗客でごった返した宇野港の高松行きの船着き場は、人の気配もなく静まり返っている。一部の看板は取り外され、車両待機場入り口には「休止中」のプレートが設置されていた。

 休止に伴い、高松と本州は、神戸航路をはじめ、宮浦(みやのうら)(香川県直島町)や小豆島で乗り換える航路、さらに瀬戸大橋などのルートで結ばれている。

宇野港へ向かう宇高航路のフェリー =高松市の高松港(恵守乾撮影)
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宇野港へ向かう宇高航路のフェリー =高松市の高松港(恵守乾撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 だが、瀬戸大橋には強風による通行止めや、車両の重量制限がある。香川県トラック協会の担当者は「分解できない巨大なクレーンや造船用の部品など、巨大貨物を運ぶ車両が山陰に向かう場合は、神戸航路を使うしかなくなった」と打ち明ける。

 航路を使用する場合、宮浦港には、船を乗り換える際に必要な大型車両の転回場所がないためだ。神戸経由は約4時間のロスになるといい、「働き方改革や運転手不足の中で労働時間が増えた」と嘆く。

宇高航路を行くフェリー(恵守乾撮影)
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 一方、岡山県トラック協会の担当者は「もともと減便と瀬戸大橋の料金値下げで、宇高航路はほとんど使われなくなっていた。これも時代の流れでは」。時間の経過とともに、地元の受け止め方や影響にも濃淡が出始めているようだ。

 宇高航路は「廃止」ではない。あくまで採算悪化による「休止」だ。再開の道筋が完全に閉ざされたわけではない。

 冬の瀬戸内海に白い航跡を残して消えた航路。橋と共存し、眠りから覚める日は来るのだろうか。(写真報道局 恵守乾)

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