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起用法の難しさ浮き彫りに 大船渡・佐々木、投げずに敗退

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起用法の難しさ浮き彫りに 大船渡・佐々木、投げずに敗退

更新 sty1907260006
試合後、取材に応じる大船渡の佐々木朗希=岩手県営野球場 (撮影・山田俊介)  試合後、取材に応じる大船渡の佐々木朗希=岩手県営野球場 (撮影・山田俊介) 

 無念だったのだろう。甲子園まであと1勝と迫った岩手大会で決勝のマウンドに上がることなく敗れ去った大船渡の最速163キロ右腕、佐々木は、試合後のインタビューで苦しげに何度も言葉を飲み込んで沈黙する場面が目立った。
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閉会式で準優勝の盾を手にする大船渡・佐々木朗希(中央)ら=岩手県営野球場(撮影・矢島康弘)
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閉会式で準優勝の盾を手にする大船渡・佐々木朗希(中央)ら=岩手県営野球場(撮影・矢島康弘)フルスクリーンで見る 閉じる

 「監督の判断なのでしようがない」「投げたい気持ちはあった」「行けといわれれば(途中からでも)行くつもりだった」と、自らを納得させるようにうなずきながら話したが、無念さは隠しようがなかった。
 無理もない。東日本大震災の津波で父親と、父方の祖父母が犠牲になり、陸前高田市の自宅も流失。小学4年生でお隣の大船渡市に移ってから8年あまり。高校最速右腕は有力私立校の誘いを蹴り、ともに汗を流してきた仲間と県立高校で甲子園を目指してきた。

 国保陽平監督は「故障を防ぐためです。連投でこの暑さ、3年間で一番壊れる可能性が高いのかな。私には(起用を)決断できなかった。朝伝えましたが、笑顔で『わかりました』と返してくれた」と説明した。

 決勝をスタンドで見守った母、陽子さん(46)は「堂々として考えてコメントしている。ずいぶん成長したなと思う」と息子をほめた。(石田征広)

「一生心に残るような決断は、自分で引き受けよう」 選手に相談せず

 25日に行われた全国高校野球選手権大会岩手大会の決勝で、大船渡の国保陽平監督は故障の防止を理由に全国屈指の実力を持つ佐々木を出場させなかった。

決勝戦の9回、ベンチで大船渡・佐々木朗希(左)と話す国保陽平監督=岩手県営野球場 (撮影・山田俊介)
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決勝戦の9回、ベンチで大船渡・佐々木朗希(左)と話す国保陽平監督=岩手県営野球場 (撮影・山田俊介)フルスクリーンで見る 閉じる

 甲子園という夢と、将来を考えた起用法を両立させることの難しさが、浮き彫りとなった。佐々木は、24日の準決勝で129球を投げて完封。国保監督は、試合間隔や気温の高さなどを要因に挙げ「甲子園という素晴らしい舞台が、決勝に勝ったら待っているのは分かっていたが、私には(起用するという)決断ができませんでした」と語った。

試合終了後、取材を受ける大船渡・佐々木朗希=岩手県営野球場(撮影・土谷創造)
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試合終了後、取材を受ける大船渡・佐々木朗希=岩手県営野球場(撮影・土谷創造)フルスクリーンで見る 閉じる

 国保監督は「一生心に残るような決断は、自分で引き受けようと思った」と、選手には相談しなかったという。佐々木は「監督の判断なので、しょうがない」と理解を示しつつ「高校野球をやっている人は、試合に出たいと思うのは当然のことだと思うので、投げたいという気持ちはあった」と無念の色を隠せなかった。
 バッテリーを組んできた及川恵介捕手は「投げてくれれば、というのはなくはなかったが、誰が投げても甲子園に行きたい気持ちはある。朗希が投げなかったからではなく、甲子園に出られなかったことに悔いが残る」と話した。

取材を受けた後、会場を去る大船渡・佐々木朗希=岩手県営野球場(撮影・土谷創造)
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取材を受けた後、会場を去る大船渡・佐々木朗希=岩手県営野球場(撮影・土谷創造)フルスクリーンで見る 閉じる

 投手の故障予防をめぐっては、日本高野連が4月に有識者会議を発足させ、6月の第2回会合で、全国大会で一定の日数の中で投げられる球数を制限することを答申に盛り込むことを決めた。国保監督は問題視されている過密日程については「私は発言する立場にはない」と述べた。

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