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【2020 パラスポーツ】努力は才能を超える バドミントン・豊田まみ子

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【2020 パラスポーツ】努力は才能を超える バドミントン・豊田まみ子

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練習に臨むパラバドミントンの豊田まみ子選手 (川口良介撮影) 練習に臨むパラバドミントンの豊田まみ子選手 (川口良介撮影)
今の夢を聞くと「海がきれいな外国に行くことかな」。素顔は、ごく普通の25歳だ(川口良介撮影)
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今の夢を聞くと「海がきれいな外国に行くことかな」。素顔は、ごく普通の25歳だ(川口良介撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 柔らかな日差しの中でレンズを向けると「撮影は慣れませんね」と照れくさそうに笑った。生まれつき左腕の肘から先がない。「この手に生まれたからいろいろな出会いや経験ができた。障害と思ったことは、あまりないです」と屈託がない。

 2020年東京パラリンピックから正式競技となるバドミントン。上肢障害(SU5)クラスでメダルが期待される。競技との出合いは小学4年。選手経験を持つ母・みどりさんが開いた教室で健常者とプレーした。中学はバドミントン部で県大会にも出場した。しかし、「もう少し上の世界を見たい」と進学した強豪・精華女子高では力の差を痛感。障害のため仲間と同じ練習ができないこともあった。

練習へ向かうパラバドミントンの豊田まみ子選手。「写真を撮られるのは、まだ慣れませんね」と照れくさそうに笑った(川口良介撮影)
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練習へ向かうパラバドミントンの豊田まみ子選手。「写真を撮られるのは、まだ慣れませんね」と照れくさそうに笑った(川口良介撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 そんな時、顧問の浜司晃先生の言葉が心に残った。「努力は才能を超える」。スポーツ特待生の中で戸惑う自分に向けられたと感じた。今も大切な座右の銘。腐らず焦らず、努力を続け差を縮めた。パラバドミントン参戦を勧められたのは2年の時。悩んだ末に浜司先生の後押しもあり参加を決意、部活と並行してパラの大会にも出場した。

シャトルを打つ音がコートに響く。週6日、厳しい練習の日々だ(川口良介撮影)
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 大学は教員免許取得を目指して筑紫女学園大へ。バドミントンは社会人チームなどで続けたが、頂点を目指すようなものではなかった。しかし、高校時代の活躍が評価され、1年の時にパラバドミントン日本代表候補合宿の参加を打診された。予想外だった。

 これが転機になった。代表選手の高い技術は衝撃だった。「この先に世界がある」と直感、「結果を出せば自分も世界で戦える」と胸が高鳴った。これ以降、練習に熱がこもり日本代表の座を手に入れた。

 2年後の2013年、ドイツのドルトムントで開かれた世界選手権。初出場で女子シングルス初優勝の快挙を達成した。国内で結果が出ず疑心暗鬼で臨んだ大会だったが「強い気持ちで挑めば結果はついてくる」と信じた。優勝の瞬間「自分のプレーは間違っていなかった」と、人生で初めてうれし涙があふれた。

練習に臨むパラバドミントンの豊田まみ子選手(川口良介撮影)
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 翌年、東京パラリンピックの競技に正式決定。「本当に幸運」と話す一方で、言葉の端々にはアスリートの自覚がにじむ。大学卒業後、上京して就職。パラスポーツ関連の市場調査を担当し、週6日の練習をこなす。「休日は疲れて寝てしまうことが多いですね。買い物には半年くらい行っていません」と苦笑いする。

 パラリンピック代表への道は険しい。それでも「目指すからには優勝を」と話す目には、東京大会への道がはっきりと映っている。(写真報道局 川口良介)

 2020年東京パラリンピックを目指すアスリートを随時紹介する。

 【プロフィル】豊田まみ子 とよだ・まみこ 1992年4月11日生まれ。25歳。福岡市博多区出身。精華女子高校(福岡市博多区)、筑紫女学園大学(福岡県太宰府市)卒。2013年パラバドミントン世界選手権女子シングルス優勝。好物はカレーといちごアイス。安室奈美恵さんのファン。ヨネックス(本社・東京都文京区)所属 

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