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【なかなか遺産】72年前と同じ空 ただ静かに 高知・南国「前浜掩体群」

遺跡・建造物

【なかなか遺産】72年前と同じ空 ただ静かに 高知・南国「前浜掩体群」

更新 sty1708200001
「前浜掩体群」の中で、一番大きな掩体。大戦中には、攻撃機の「一式陸攻」が格納されていたという =高知県南国市(彦野公太朗撮影) 「前浜掩体群」の中で、一番大きな掩体。大戦中には、攻撃機の「一式陸攻」が格納されていたという =高知県南国市(彦野公太朗撮影)
掩体の背景には、高知龍馬空港に着陸する旅客機が見える =高知県南国市(彦野公太朗撮影)
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掩体の背景には、高知龍馬空港に着陸する旅客機が見える =高知県南国市(彦野公太朗撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 黄金色に頭(こうべ)を垂れる稲穂が広がる田園地帯に“カマボコ”のような物体が点々と見える。

 大きなカマボコの正体は、太平洋戦争中に作られた「前浜掩体(えんたい)群」(高知県南国市)で、高知海軍航空隊に所属する航空機の格納庫として使われた。

 掩体は、敵の攻撃から守るため各地の基地に設置された。南国市には全部で41基があったというが現在残るのは7基。現存する7基はすべて鉄筋コンクリート製、幅40メートルを超えるものもあり迫力に圧倒される。

掩体の内部には、コンバインが置かれ、営みが感じられた =高知県南国市(彦野公太朗撮影)
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掩体の内部には、コンバインが置かれ、営みが感じられた =高知県南国市(彦野公太朗撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 高知海軍航空隊は、大戦当初は、練習機「白菊」で乗員の養成を行う部隊で、実戦には参加しなかった。

 しかし、戦局が厳しくなると爆弾を機体に取り付けて「白菊特別攻撃隊」を結成。鹿児島県の鹿屋基地から特攻部隊として出撃し、多くの若い命が犠牲になった。

掩体に弾痕が残る =高知県南国市(彦野公太朗撮影)
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掩体に弾痕が残る =高知県南国市(彦野公太朗撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 南国市は平成18年、平和の大切さを訴える遺産として、掩体群を史跡指定し、1基を公園として整備した。

 戦後70年あまりが過ぎ、掩体が点在する地区に、のどかな景色が広がる。役目を終えた掩体には蔦(つた)が絡み、自然に帰ろうとしているかのようだった。

高知海軍航空隊の航空機が格納されていた掩体 =高知県南国市(彦野公太朗撮影)
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高知海軍航空隊の航空機が格納されていた掩体 =高知県南国市(彦野公太朗撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 歴史ガイドとして施設を案内する藤本眞事さん(85)は、中学生の時に、基地造りに従事し、その後は軍需工場で働いた。

 「海軍が田んぼの上に掩体を作ってしまった」と話す藤本さん。二度と若者を戦争へ送りたくない、という思いでガイドを続けている。

 航空隊の跡地には高知龍馬空港が整備され旅客機が離着陸を繰り返す。東京から見学に訪れた紺野将光さん(34)は「当時の逼迫(ひっぱく)した状況を肌で感じることができた。実際に来てよかった」と、熱心に写真を撮っていた。地元の高専2年、安西治瑛さん(17)は「気になってはいたけれど、間近で見たのは初めて」と話す。

 それぞれが掩体に触れて、その歴史や存在に思いを巡らす。なかなかというには少し重い風景が8月の空に広がっていた。(写真報道局 彦野公太朗)

 ■前浜掩体群■
 そろそろ遺産・てんてん系に指定される。高知海軍航空隊周辺に41基が作られ、鉄筋の代わりに竹を使った「竹筋製」もあった。現在残る7基は鉄筋コンクリート製。一番大きいもので幅44メートル、奥行き23メートル、高さ8.5メートル。

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