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【あのころ】都心を追われた路面電車 都電銀座線

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【あのころ】都心を追われた路面電車 都電銀座線

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竪川通-大島3丁目間の専用軌道を走る都電38系統=昭和39年、東京都江東区大島 竪川通-大島3丁目間の専用軌道を走る都電38系統=昭和39年、東京都江東区大島
銀座の中央通りを走る都電1系統(手前は銀座2丁目停留所、奥は銀座4丁目方面) =昭和42年、東京都中央区
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銀座の中央通りを走る都電1系統(手前は銀座2丁目停留所、奥は銀座4丁目方面) =昭和42年、東京都中央区フルスクリーンで見る 閉じる

 昭和42年12月9日、東京の銀座4丁目交差点は人の波に埋め尽くされていた。流れる「蛍の光」のメロディー。この日、明治時代から親しまれてきた都電銀座線が、他の8系統とともに廃止された。「チンチン…」。鐘の音を響かせ、最終電車が発車したのは日付が変わった10日未明。集まった人たちは赤い尾灯をいつまでも見送った。

 東京五輪後の昭和40年代、都心の慢性的な交通渋滞が深刻化した。特に道路内の軌道を走る都電は厄介者。ラッシュ時には停留所からあふれる乗降客が渋滞に拍車をかけた。都電も定時運行が望めず利用者は減少の一途。赤字も膨らみ段階的な廃止が決定した。

「都電よありがとう」の横断幕を掲げ銀座4丁目交差点を通過する=昭和42年
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 東京・築地で生まれ育った大長(おおおさ)紀子さん(58)は当時小学生。「夜のチンチン電車が怖かった」と振り返る。ビューゲルと呼ばれる集電装置と架線の接触部から時折出る青白い閃光(せんこう)。「火の玉が降ってきそうだった」と振り返る。大長さんは上野に向かう途中に都電が車と接触、衝撃で床に倒れた経験もある。

 最盛期は41路線、総延長213キロに及んだ都電も今は早稲田(新宿区)-三ノ輪橋(荒川区)間、12.2キロを走る荒川線が残るだけになっている。(写真報道局編集委員 大山文兄)

 【昭和42年】高見山が初の外国人関取に昇進(3月)し、東洋工業(現・マツダ)がロータリーエンジンのコスモスポーツを売り出す(5月)。JCBが日本初の国際クレジットカードを発行(8月)。ニッポン放送の深夜番組「オールナイトニッポン」が始まり、ミニスカートの妖精ツイッギーが来日、吉田茂元首相が死去した(10月)。石原裕次郎主演の映画「夜霧よ今夜も有難う」、美空ひばりの「真赤な太陽」が大ヒット。ゴーゴー喫茶、フーテン族が話題に。

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