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燃えた櫓の跡? 真田幸村が戦死した大坂夏の陣の激闘刻む瓦や土が見つかる

遺跡・建造物

燃えた櫓の跡? 真田幸村が戦死した大坂夏の陣の激闘刻む瓦や土が見つかる

更新 sty1602020016
発掘調査で見つかった大坂城の石垣。右上の平たん部分で焼土層が確認された=大阪市 発掘調査で見つかった大坂城の石垣。右上の平たん部分で焼土層が確認された=大阪市
豊臣秀吉が築いた最初の大坂城の復元イメージ(復元考証・宮上茂隆氏、竹林舎建築研究所提供)
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豊臣秀吉が築いた最初の大坂城の復元イメージ(復元考証・宮上茂隆氏、竹林舎建築研究所提供)フルスクリーンで見る 閉じる

 戦国時代の武将、真田幸村が戦死し、豊臣家が滅亡した大坂夏の陣(1615年)の際に炎上した大阪城天守閣近くにあった「詰ノ丸」の石垣周辺の再発掘調査で、焼けた櫓(やぐら)の跡とみられる瓦や土が見つかった。大阪市教委は「かつての激闘の痕を刻む貴重な遺構」としている。

 市教委などは昨年8月から、昭和59年に発見された豊臣期の詰ノ丸の石垣周辺を再発掘していた。焼け焦げた形跡のある瓦や土が見つかり、大坂夏の陣で徳川勢の猛攻に耐えた櫓が、この地にあった可能性が高まったという。

 市教委によると、櫓は絵図に描かれたりしているが、これまで存在を示す明確な証拠はなかった。櫓が焼けた原因については、城内の内通者による放火や豊臣秀頼の命令で家臣が火を放ったなどの諸説がある。

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