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【記憶の風景】命つないだ都心の闇市 東京・東池袋

自然・風景

【記憶の風景】命つないだ都心の闇市 東京・東池袋

更新 sty1510110003
終戦後、ヤミ市から移転した店などでできた美久仁小路。懐かしい雰囲気の通りの向こうに、サンシャイン60がそびえ立つ =東京・東池袋(奈須稔撮影) 終戦後、ヤミ市から移転した店などでできた美久仁小路。懐かしい雰囲気の通りの向こうに、サンシャイン60がそびえ立つ =東京・東池袋(奈須稔撮影)

 薄暮の空が漆黒の闇に変わる頃、東京・東池袋の路地に明かりがともり始めた。ヤミ市(闇市)と呼ばれた商店が池袋駅前から移転した「美久仁小路」。東京裁判で有罪になった戦犯らが収容された、巣鴨プリズン跡地にそびえる高層ビルと、昭和の雰囲気を残す飲み屋街が奇妙なコントラストをみせる。

昭和23年当時の池袋駅東口「森田組東口マーケット」。一部の店は移転し、27年までに撤去された(東京都建設局提供)
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昭和23年当時の池袋駅東口「森田組東口マーケット」。一部の店は移転し、27年までに撤去された(東京都建設局提供)フルスクリーンで見る 閉じる

 ヤミ市は終戦後の日本各地に出現した露天市場。空襲の焼け跡などが非合法に占拠された。終戦から5日後、新宿駅東口に関東尾津組が作った「新宿マーケット」が始まりとされる。米やみそ、野菜など食料品のほか、文房具や傘などの生活用品が売られ、配給だけでは足りない物資がヤミ値で取引され、公定価格の100倍を超えるものもあった。飲み屋も多かったが、メチルアルコールを混ぜた焼酎などで命を落とす人もいた。

 昭和21年3月、池袋駅東口前にできたのが「森田組東口マーケット」。約250店が軒を連ね住居を兼ねる店舗もあった。尾上多喜雄さん(81)=東京都豊島区=は通っていた立教中学の帰りに度々、ヤミ市に住む友人の割烹(かつぽう)に立ち寄った。

東池袋の美久仁小路には、1軒数坪の小さな店も多い(奈須稔撮影)
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東池袋の美久仁小路には、1軒数坪の小さな店も多い(奈須稔撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 「四隅にくいを立てて縄を張れば自分の土地」。友人の言葉が印象に残る。今は家電量販店や銀行が並ぶ1等地だが、ヤミ市は殺伐とした雰囲気で「皆が噛み付きそうな顔をしていた」と尾上さん。ボロボロの軍服を着た人や派手な衣装の娼婦も多かった。

 復興が進み物資が流通するようになると、ヤミ市は東京都が進める戦災復興土地区画整理事業によって閉鎖されていった。当時、東京都建設局の技師で池袋駅東口一帯の設計に関わった石井博さん(90)=東京都葛飾区=は、立ち退き交渉の陣頭指揮をとった。

 相手の事務所で渡された厚い本を開くと、中はくり抜かれピストルが入っていたことも。石井さんは「命がけでした」と振り返るが「ヤミ市無しに食べていけなかった」とも。「当時は皆、必死。なにくそ、早く日本を立て直すんだという思いだったんです」と力を込めた。(写真報道局 奈須稔)

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