産経フォト

試作2号機が実現「国産機輸送」 【昭和探偵団】

ニュース

試作2号機が実現「国産機輸送」 【昭和探偵団】

更新 sty1404290002
アテネからリレーされた聖火が到着。トーチランプにともされた聖火が機内から現れると、空港は大歓声に包まれた =昭和39年9月9日、鹿児島市の鴨池空港 アテネからリレーされた聖火が到着。トーチランプにともされた聖火が機内から現れると、空港は大歓声に包まれた =昭和39年9月9日、鹿児島市の鴨池空港

 ■聖火運んだ全日空のYS-11

 半世紀前の昭和39(1964)年9月9日朝、東京五輪の聖火を乗せたYS-11型機が鹿児島市の鴨池空港に着陸した。当時、まだ米軍統治下の沖縄・那覇から聖火を運んだのは戦後初の国産旅客機だった。

航空自衛隊のF-86戦闘機3機と、T-33練習機(左)にエスコートされ千歳空港上空を通過する聖火輸送機(右)=北海道
画像を拡大する
航空自衛隊のF-86戦闘機3機と、T-33練習機(左)にエスコートされ千歳空港上空を通過する聖火輸送機(右)=北海道フルスクリーンで見る 閉じる

 輸送担当は全日空。同社は20機のYS-11を発注していたが、開発が大幅に遅れ「国産機による聖火輸送」は実現が危ぶまれた。最終的に試作2号機を全日空カラーに塗装、2日間限りのチャーターフライトとして、沖縄から聖火リレーの出発点である鹿児島、宮崎、千歳の3空港へ「五輪の火」を運んだ。

 YS-11の整備士だった福井裕さん(81)=奈良県大和高田市=は、操縦士や客室乗務員ら12人からなる「ANA聖火輸送隊」の一員として搭乗。計画の詳細を知っていたのは一部の関係者だけだった。聖火は炭鉱で使うカンテラを改造したトーチランプで運ばれ、機体に固定する台はYS-11の内装を手掛けた大丸百貨店が製作した。

 本番前日の8日、福井さんは3台のトーチランプを手に東京・羽田空港からYS-11に乗り沖縄・那覇へ。翌9日、台湾から7日に到着していた聖火を3つに分けて積み込み鹿児島、宮崎と順調にフライト、最後の目的地、北海道・千歳空港へ向かった。

 その際、仙台付近上空で乱気流に遭遇、機体が激しい揺れに見舞われた。「聖火を心配するより、自分の体を固定するので精いっぱい」(福井さん)という、空のベテランも驚く異常事態。揺れは10分ほど続いたが、それでも固定されたトーチの炎は無事だった。

 このフライトをきっかけに、全日空のYS-11には「オリンピア」の愛称が付けられた。182機が製造された戦後初の国産旅客機は、全日空から平成3年に引退。現在は旅客輸送から完全に退き、一部自衛隊での運用にとどまっている。(写真報道局 大山文兄)

スゴい!もっと見る

瞬間ランキングもっと見る

話題のランキング