産経フォト

原爆の変わらぬ「生き証人」 広島電鉄の被爆電車

乗り物

原爆の変わらぬ「生き証人」 広島電鉄の被爆電車

更新 jnl2008020001
広島電鉄の被爆電車、650形651号(左)。650形は昭和17年に5両が作られ、3両が今も現役。主に平日朝の通勤時間帯や平和学習などで使われる=広島市中区(大西史朗撮影) 広島電鉄の被爆電車、650形651号(左)。650形は昭和17年に5両が作られ、3両が今も現役。主に平日朝の通勤時間帯や平和学習などで使われる=広島市中区(大西史朗撮影)キヤノン EOS-1D X Mark Ⅱ:EF600mm F4L IS Ⅲ USM
被爆電車、650形651号の車窓から見た原爆ドーム。被爆直後は「75年は草木も生えぬ」といわれたが、車窓からの風景には緑があふれる。ただ、原爆ドームだけが被爆の惨禍を物語る=広島市中区(大西史朗撮影) 
画像を拡大する
被爆電車、650形651号の車窓から見た原爆ドーム。被爆直後は「75年は草木も生えぬ」といわれたが、車窓からの風景には緑があふれる。ただ、原爆ドームだけが被爆の惨禍を物語る=広島市中区(大西史朗撮影) キヤノン EOS-1D X Mark Ⅱ:EF16-35mm F4L IS USMフルスクリーンで見る 閉じる

 街は変わった。だが変わらないものがある。
 広島市で被爆直後の姿をとどめ、核兵器の惨禍を伝える原爆ドーム。周囲の光景を木枠の車窓が額縁のように切り取る。現役で走るこの路面電車も、原爆の変わらぬ「生き証人」だ。

広島電鉄の被爆電車、650形651号の運転席。中央奥は原爆ドーム=広島市中区(大西史朗撮影)
画像を拡大する
広島電鉄の被爆電車、650形651号の運転席。中央奥は原爆ドーム=広島市中区(大西史朗撮影)キヤノン EOS-1D X Mark Ⅱ:EF16-35mm F4L IS USMフルスクリーンで見る 閉じる

 広島電鉄(広島市中区)が所有する「650形」。昭和20年8月6日の原爆投下時、市内の各地で被爆したため「被爆電車」と呼ばれる。昭和17年に5両が作られ、レバー操作の空気ブレーキなど最新の技術が搭載された。今も3両が走行している。

広島電鉄が所有する路面電車。京都や福岡などで活躍した路面電車がいまだに走り「路面電車の博物館」と呼ばれている=広島市中区(大西史朗撮影)
画像を拡大する
広島電鉄が所有する路面電車。京都や福岡などで活躍した路面電車がいまだに走り「路面電車の博物館」と呼ばれている=広島市中区(大西史朗撮影)キヤノン EOS-1D X Mark Ⅱ:EF24-105mm F4L IS Ⅱ USMフルスクリーンで見る 閉じる

 当時は徴兵で男性が減少。家政女学校に入ると女学生でも電車運用に関わることができた。広島市に住む増野幸子さん(90)もその一人だ。大型の650形を運転できたときは喜びが増したという。
 そんな増野さんにも「あの日」が待っていた。

広島電鉄の被爆電車、650形651号(中央)。650形は昭和17年に5両が作られ、3両が今も現役。主に平日朝の通勤時間帯や平和学習などで使われる=広島市中区(大西史朗撮影)
画像を拡大する
広島電鉄の被爆電車、650形651号(中央)。650形は昭和17年に5両が作られ、3両が今も現役。主に平日朝の通勤時間帯や平和学習などで使われる=広島市中区(大西史朗撮影)キヤノン EOS-1D X Mark Ⅱ:EF600mm F4L IS Ⅲ USM +EF1.4X Ⅲフルスクリーンで見る 閉じる

 爆心地から2・1キロの寮で休んでいると、爆風で割れたガラスが背中一面に突き刺さった。右足甲にも熱線で大やけどを負った。
 ガラス片は114個。今も数個が背中に残る。寝返りをうつときの痛み、そして「あんな苦い経験は思い出したくない」という心の痛みは続いている。
 原爆投下後、路面電車はわずか3日で市内西部の己斐(現在の広電西広島)~西天満町(現在の天満町電停付近)約1・2キロが再開。被爆車両も修繕され再び走り始めた。直後、広島は「75年は草木も生えぬ」と言われた。この夏であれから75年が経つ。当時の予想は大きく覆った。
 増野さんはときどき650形に乗ることがある。ああ懐かしい、また運転したい-。そう思うのは、復興と繁栄を支える平和が続いてきたからだ。
 街は変わった。だが変えてはならないものがある。

(写真報道局 大西史朗)

広島電鉄の被爆電車、650形651号=広島市中区(大西史朗撮影)
画像を拡大する
広島電鉄の被爆電車、650形651号=広島市中区(大西史朗撮影)キヤノン EOS-1D X Mark Ⅱ:EF24-105mm F4L IS Ⅱ USMフルスクリーンで見る 閉じる
広島電鉄の被爆電車、650形651号=広島市中区(大西史朗撮影)
画像を拡大する
広島電鉄の被爆電車、650形651号=広島市中区(大西史朗撮影) キヤノン EOS-1D X Mark Ⅱ:EF600mm F4L IS Ⅲ USM +EF1.4X Ⅲフルスクリーンで見る 閉じる
広島電鉄の被爆電車、650形651号の運転席。650形は昭和17年に5両が作られ、3両が今も現役。主に平日朝の通勤時間帯や平和学習などで使われる=広島市西区(大西史朗撮影)
画像を拡大する
広島電鉄の被爆電車、650形651号の運転席。650形は昭和17年に5両が作られ、3両が今も現役。主に平日朝の通勤時間帯や平和学習などで使われる=広島市西区(大西史朗撮影)キヤノン EOS-1D X Mark Ⅱ:EF14mm F2.8L Ⅱ USMフルスクリーンで見る 閉じる
広島電鉄が所有する650形路面電車。昭和20年8月6日の原爆投下時、市内の各地で被爆したため「被爆電車」と呼ばれる。昭和17年に5両が作られ、レバー操作の空気ブレーキなど当時最新の技術が搭載された。今も3両が走行している。写真は650形651号の車内=広島市中区(大西史朗撮影)
画像を拡大する
広島電鉄が所有する650形路面電車。昭和20年8月6日の原爆投下時、市内の各地で被爆したため「被爆電車」と呼ばれる。昭和17年に5両が作られ、レバー操作の空気ブレーキなど当時最新の技術が搭載された。今も3両が走行している。写真は650形651号の車内=広島市中区(大西史朗撮影)キヤノン EOS-1D X Mark Ⅱ:EF14mm F2.8L Ⅱ USMフルスクリーンで見る 閉じる
広島電鉄(広島市中区)が所有する650形路面電車。昭和20年8月6日の原爆投下時、市内の各地で被爆したため「被爆電車」と呼ばれる。昭和17年に5両が作られ、レバー操作の空気ブレーキなど当時最新の技術が搭載された。今も3両が走行している。写真は650形651号の運転席=広島市中区(大西史朗撮影) 
画像を拡大する
広島電鉄(広島市中区)が所有する650形路面電車。昭和20年8月6日の原爆投下時、市内の各地で被爆したため「被爆電車」と呼ばれる。昭和17年に5両が作られ、レバー操作の空気ブレーキなど当時最新の技術が搭載された。今も3両が走行している。写真は650形651号の運転席=広島市中区(大西史朗撮影) キヤノン EOS-1D X Mark Ⅱ:EF14mm F2.8L Ⅱ USMフルスクリーンで見る 閉じる
広島電鉄(広島市中区)が所有する650形路面電車。昭和20年8月6日の原爆投下時、市内の各地で被爆したため「被爆電車」と呼ばれる。昭和17年に5両が作られ、レバー操作の空気ブレーキなど当時最新の技術が搭載された。今も3両が走行している。写真は650形651号=広島市中区(大西史朗撮影)
画像を拡大する
広島電鉄(広島市中区)が所有する650形路面電車。昭和20年8月6日の原爆投下時、市内の各地で被爆したため「被爆電車」と呼ばれる。昭和17年に5両が作られ、レバー操作の空気ブレーキなど当時最新の技術が搭載された。今も3両が走行している。写真は650形651号=広島市中区(大西史朗撮影)キヤノン EOS-1D X Mark Ⅱ:EF24-105mm F4L IS Ⅱ USMフルスクリーンで見る 閉じる
広島電鉄の被爆電車、650形651号。650形は昭和17年に5両が作られ、3両が今も現役。被爆後651号は1946年3月復帰した。今では主に平日朝の通勤時間帯や平和学習などで使われる=広島市中区(大西史朗撮影)
画像を拡大する
広島電鉄の被爆電車、650形651号。650形は昭和17年に5両が作られ、3両が今も現役。被爆後651号は1946年3月復帰した。今では主に平日朝の通勤時間帯や平和学習などで使われる=広島市中区(大西史朗撮影)キヤノン EOS-1D X Mark Ⅱ:EF70-200mm F2.8L IS Ⅱ USMフルスクリーンで見る 閉じる
広島電鉄の被爆電車、650形651号(中央)。650形は昭和17年に5両が作られ、3両が今も現役。主に平日朝の通勤時間帯や平和学習などで使われる=広島市中区(大西史朗撮影)  
画像を拡大する
広島電鉄の被爆電車、650形651号(中央)。650形は昭和17年に5両が作られ、3両が今も現役。主に平日朝の通勤時間帯や平和学習などで使われる=広島市中区(大西史朗撮影)  キヤノン EOS-1D X Mark Ⅱ:EF600mm F4L IS Ⅲ USM +EF1.4X Ⅲフルスクリーンで見る 閉じる

企画制作:産経デジタル