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特攻隊が見た「最後の本土」 鹿児島県・開聞岳

自然・風景

特攻隊が見た「最後の本土」 鹿児島県・開聞岳

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特攻機と同じ経路で南に向かって上空を飛んだ。進行方向左手には美しい開聞岳が見え、海岸線を越えると目の前には真っ青な海が広がり、吸い込まれるようだ (本社チャーターヘリから) 特攻機と同じ経路で南に向かって上空を飛んだ。進行方向左手には美しい開聞岳が見え、海岸線を越えると目の前には真っ青な海が広がり、吸い込まれるようだ (本社チャーターヘリから)キヤノン EOS-1D X:EF24-105mm F4L IS USM

 薩摩半島南端にそびえる開聞岳(かいもんだけ)(標高924メートル、鹿児島県指宿市)は「薩摩富士」とも呼ばれ、その美しい円錐(えんすい)形の威風堂々たる姿が見る者を圧倒する。

「薩摩富士」とも呼ばれる開聞岳に夕闇が迫る。知覧基地を飛び立った特攻隊員は何度も何度も振り返り、覚悟を決め、沖縄を目指したという =鹿児島県南九州市
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「薩摩富士」とも呼ばれる開聞岳に夕闇が迫る。知覧基地を飛び立った特攻隊員は何度も何度も振り返り、覚悟を決め、沖縄を目指したという =鹿児島県南九州市キヤノン EOS-1D X:EF24-105mm F4L IS USMフルスクリーンで見る 閉じる

 終戦間近の1945(昭和20)年3月に始まった沖縄戦。沖縄を取り囲んだ連合軍18万の兵力と艦船1500隻からの沖縄侵略を防ごうと、爆弾を積んだ戦闘機で体当たりしようと出撃したのが特攻隊員だ。

 特攻隊員は全国から集められた飛行士で、10代も多かった。出撃した彼らが最後に見た本土の景色が開聞岳だった。

 特攻機の多くは、本土最南端の陸軍基地・知覧(鹿児島県南九州市)や海軍鹿屋基地(鹿児島県鹿屋市)など九州南部の基地から飛び立った。一式戦闘機「隼(はやぶさ)」、三式戦闘機「飛燕(ひえん)」、四式戦闘機「疾風(はやて)」、零式艦上戦闘機「零戦」。右翼に250キロの爆弾、左翼には同量の燃料。命をかけた攻撃で「カミカゼ」とおそれられた。

一番茶の摘み取りが終わった、名産「知覧茶」畑。奥には開聞岳がそびえる =鹿児島県南九州市
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一番茶の摘み取りが終わった、名産「知覧茶」畑。奥には開聞岳がそびえる =鹿児島県南九州市キヤノン EOS-1D X:EF24-105mm F4L IS USMフルスクリーンで見る 閉じる

 遺書を残し、別れの杯を交わして知覧基地を飛び立った特攻隊員は2時間半かけて、一路沖縄に向かった。その距離約650キロ。どんな思いで出撃したのだろうか。想像すると胸が張り裂けそうだ。平和な日本の未来を願い、また愛する家族を守るため彼らは出撃した。

 知覧基地を飛び立ち、操縦席から左に開聞岳を見ながら海岸線を越えると「もう戻れない、行くしかない」と、何度も何度も振り返りながら覚悟を決めたという。

見送りの乙女 今も忘れない

 1945(昭和20)年3月27日から4月18日までの23日間、特攻隊員が出撃までの数日間を過ごす三角兵舎や基地周辺で、食事、洗濯、軍服の裁縫など身の回りの手伝いをしたのが知覧高等女学校3年生の「なでしこ隊」だ。早朝からさまざまな仕事をこなし、出撃の知らせがあると指揮所や滑走路の周りで見送りに並ぶ。

1980(昭和55)年6月に引き上げられた海軍零式艦上戦闘機「零戦」の展示室には多くの見学者が =鹿児島県南九州市の知覧特攻平和会館
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1980(昭和55)年6月に引き上げられた海軍零式艦上戦闘機「零戦」の展示室には多くの見学者が =鹿児島県南九州市の知覧特攻平和会館キヤノン EOS-1D X:EF17-40mm F4L USMフルスクリーンで見る 閉じる

 4月12日の第2次総攻撃には、ある女学生が知覧町内から八重桜を準備し、整列して次々と出撃する特攻機を桜を振って見送った。目の前で起こっている事実が認識できる15歳の乙女たちには、その光景は極めて酷なものだった。直視できずうつむきながら見送りをする人や出撃後、声をあげてむせび泣いた人もいたという。

 当時なでしこ隊として毎日のように特攻機を見送った桑代チノさん(86)さんは「兵隊さんは日本を守る生き神様に見えました。敬礼して飛び立った飛行機が開聞岳に向かい、翼を3回振って、さようならの合図をしたのが忘れられません。当時を思い出すと今でも胸が締め付けられる…」と涙ながらに話してくれた。

知覧特攻平和会館で再現された三角兵舎。全国から集まった特攻隊員は出撃までの数日間をここで過ごし、遺書などを残した =鹿児島県南九州市
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知覧特攻平和会館で再現された三角兵舎。全国から集まった特攻隊員は出撃までの数日間をここで過ごし、遺書などを残した =鹿児島県南九州市キヤノン EOS-1D X:EF24-105mm F4L IS USMフルスクリーンで見る 閉じる

 あれから70年。知覧特攻平和会館では特攻隊員の遺書や資料など約1万5000点を保管、展示する。資料を所有する南九州市では、2017年のユネスコの世界記憶遺産登録を目指し、ユネスコ国内委員会に申請書を提出した。

 よく晴れた日、ヘリコプターで特攻機と同じ経路を飛んだ。上空から見た開聞岳は雄壮で美しかったが、海岸線を越えると真っ青な海に吸い込まれるような錯覚に陥った。あの日、多くの若い特攻隊員を見送った開聞岳は今も変わらずたたずんでいた。写真・文 鈴木健児(写真報道局)

70年前、特攻機の出撃を見送った知覧基地指揮所跡で「あの日」を再現してくれた桑代チノさん。開聞岳に向かって手を振ると、涙があれた =鹿児島県南九州市
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70年前、特攻機の出撃を見送った知覧基地指揮所跡で「あの日」を再現してくれた桑代チノさん。開聞岳に向かって手を振ると、涙があれた =鹿児島県南九州市キヤノン EOS-1D X:EF24-105mm F4L IS USMフルスクリーンで見る 閉じる
南九州市知覧町には、沖縄戦に出撃した特攻兵を祭った石灯篭が並ぶ =鹿児島県南九州市
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南九州市知覧町には、沖縄戦に出撃した特攻兵を祭った石灯篭が並ぶ =鹿児島県南九州市キヤノン EOS-1D X:EF100-400mm F4.5-5.6L IS Ⅱ USMフルスクリーンで見る 閉じる
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