【福島から】「明るい未来」が今は無人の町 PR看板撤去反対の大沼さん
更新 jnl1506170001国道6号線で東京電力福島第一原子力発電所が立地する福島県双葉町を通過すると「双葉厚生病院入口」交差点西側バリケードの奥にPR看板がそびえ立つ。

「原子力 明るい未来のエネルギー」
看板の標語は1987年に当時小学校6年生だった双葉町出身の大沼勇治さん(39)が学校の宿題で考案し、優秀賞に輝き町から表彰された時のもの。
「自責の念があります。少年のころ夢を持っていた。町が発展してビルが建ち並び新幹線も通るのかなと、希望がありました。それが今では無人の町です」

看板は2基あり表裏に計4つの標語が掲げられている。原発事故の象徴として一躍有名になったが町は老朽化を理由に410万円の予算で撤去の方針を固めた。大沼さんは撤去反対、現場保存を訴え6月8日、3月から集めた6502筆の署名を伊沢史朗町長(57)に提出した。署名は原発事故時の管直人首相ら全国、海外から集まったが双葉町民で確認できたのは約50名。

「双葉の人の声をもっと集めることができたらと、残念に思う」
一方、伊沢町長は「署名の重みを感じ、検討して判断したい」と答えるに留まった。
原発事故前、大沼さんは不動産会社で働きながら看板横の土地に町内初のオール電化アパートを建て東電関係者に貸していた。自らの標語が誇らしかった。現在、茨城県古河市に移住し茨城、栃木両県の5ケ所で太陽光発電の事業に取り組んでいる。

「電力と関わるのが双葉出身の自分としての宿命なのかな。町として恥だから消し去りたいとの考えは解るが、原発事故の教訓、反省、負の遺産として後世に伝え残すべきだ」
署名提出後は撤去反対の垂れ幕をアパートの6号線から見える位置に掲げた。
住民帰還の目途が立たない双葉町を、看板は今も静かに見守り続けている。
** 井沢雄一郎(フリーランス写真記者:1969年9月生まれ 福島県在住)