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【日本の未来を考える】オンライン教育活用術

 コロナ禍が続く中でオンライン教育が定着してきている。キャンパスに学生が集まることに意味があることは当然だが、オンライン教育の活用を増やすことにも大いに意義がある。要はこの二つをどう組み合わせていくのかということだろう。

 少し前に、ある高校関係者から興味深い話を聞いた。最近は自宅にいながらにしてオンラインで予備校の授業が受けられるが、そこに登場する有名講師の授業は受講生に高い評価を受けているようで、予備校の授業を受けて初めて理解ができたという感想を持つ生徒も多いという。そうした授業を熱心に受けていると夜遅くなり、その結果、学校での昼間の授業の時に眠くなってしまう生徒もいる。自分の授業で居眠りをしている生徒に教師が怒ると、生徒は「もっとよい授業がオンラインで聞けるのに、なぜ先生のつまらない授業を聞かなくてはいけないのだ」と反発する。

 教育関係者には笑えない話だ。高校などではオンライン教育が、教室での教育に変革を迫ろうとしているのだ。オンライン授業は全国レベルで厳しい競争が展開されており、そこで勝ち残るためには受講生に高い評価を得られるような授業でなくてはならない。教室で生徒と対面で授業ができるという強みを持つ多くの教師にとっても、そうしたオンライン授業に勝る授業をするのは、大変なことだと思う。いずれは、高校の教室で生徒が予備校のオンライン授業を聞いているというのが当たり前の光景になるかもしれない。そうなったら教室にいる教師の役割はどうなるのだろうか。

 筆者のような経済学者が教育の話に「競争」の話を持ち込むと、必ず厳しいご批判をいただく。オンライン教育に頼りすぎていては、本当の教育にはならない、というもっともなご意見もある。ノーベル経済学賞を受賞した経済学者のスティグラーは「シカゴ大学の大学院には多くの優れた教師がいたが、自分はその教師たちから以上に、同級生たちから多くのことを学んだ」と書いている。同級生たちは教師ほどの知識はないだろうが、ともに悩み、一緒に活動することで考え方を共有できる。高校や大学の同級生の中から一生の友達もできるかもしれない。こうした交流はオンライン教育だけでは難しい。

 知識の取得についてはオンラインに優れた面があるとしても、人々が教育の場をともにするからこそ生まれるものも多くある。そうしたことをもっと大切にすることが学校に求められる。知識を教える「授業」に人と時間をかけすぎると、そうした「交流の場」としての機能に多くの人材と資源を割けなくなる。ただ、だからこそオンライン教育の出番があるともいえる。オンライン教育を徹底的に利用し、知識を取得する「授業」はスリム化しながら、それで捻出した人材と資源を「交流の場」としての機能に振り向けるのだ。オンライン教育がこれまでの教育に全て置き換わるわけではないが、教育の改革の大きな原動力になることは間違いない。 (いとう もとしげ)