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【話の肖像画】龍谷大学教授・李相哲(61)(21)憧れの山の向こうは日本だった

自宅にて、妻が着付けてくれた着物姿で
自宅にて、妻が着付けてくれた着物姿で

 《米国に1年間、滞在したことがある》

 中国での新聞記者時代に一緒に中国各地をまわった朴漢植(パク・ハンシク)氏が教授を務めるジョージア州の大学で2001年から研究生活を送りました。キャンパスのバス停にいたらインド人の学生がやってきて「ナニジンか」と聞くので、あまり考えずに「中国人だ」と答えました。そこへ韓国人の学生がやってきて韓国語で話がはずみ、彼が「本当はわが国の人なのですね」と言いました。

 後日、日本人留学生が主催するパーティーに招待されました。そこにはバス停で会ったインド人と韓国人がいました。私は日本人教官として紹介されたので、彼らはけげんな顔をしていました。最初から「両親は韓国出身だけれど、私自身は中国で生まれ育って、今は日本国籍を持っている」と説明すればよかったのかもしれませんが…。

 外国に行ったとき、素直に「日本から来た」と言えないときもありました。「国籍は日本でも本当は韓国人ではないか、いや、本当は中国人だろう」と言われるような気がするからです。とはいえ韓国人を名乗るわけにもいきません。韓国には住んだこともないのですから。もはや中国人でもないでしょう。

 《複雑なアイデンティティーを持っている自分が嫌な時期もあったという》

 どの国にもしっかり根を張っていないし、どの国にいてもよそ者のような感じがしたからです。しかし、いまは日本が私の心の休まる場所になりました。日本人として日本に生きる自分は本当に幸運だと思っています。

 私はシベリアに近い中国の荒野に生まれました。でもそれも良かったと思うのは、文化大革命の狂乱と無縁でいられたからです。同じ朝鮮族でも吉林省の延辺(えんぺん)朝鮮族自治州では、ときに武力を伴う激しい闘争がありました。私が育った村は政府も存在を忘れているぐらいの田舎でしたし、人々も争ったりしませんでした。

 毛沢東は「まず破壊せよ、建設はそこから生まれる」と全国民に破壊を促しました。でも歴史をひもとけば秦以降の時代から王宮や文物への破壊は繰り返されているのです。二千数百年の間、破壊が繰り返された結果、残ったのは「文化の停滞」で、無くしたのは「尊い価値」ではないでしょうか。中国人は美しいものを愛する心、人間らしく生きることを壊し続けてきたように思います。

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