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【話の肖像画】龍谷大学教授・李相哲(61)(11) 運命を変えた電話、決死の日本渡航

 庁舎の入り口は軍人が守衛していてそこを通ろうとしたら「新聞社から電話です」と言う。不吉な予感に包まれました。電話に出ると「書類を再度検討したが公務ではないようだ。いったん戻りなさい」と言われました。

 その夜はショックで眠れませんでした。しかしハルビンの公安局に朝鮮族の知り合いがいることを思い出し、翌日相談に行きました。すると、「この招待状なら私的な渡航で申請すれば旅券は出るだろう」と言うのです。旅券の取得は大変なことでしたが、彼が尽力してくれ、所属機関の審査なしで発行してくれました。旅券代はほぼ1カ月分の給料にあたる50元。初めて見る、手で触ることのできる自分の旅券。本当にうれしかった。

 新聞社には2週間の休暇を申請しましたが、人事担当の上司から「一番いいのは行かないことだ。それでも行きたければ1週間で帰ってきなさい」と言われました。その上司は戦前、日本に滞在した経歴のある大ベテランの記者だったのですが、文化大革命中に「日本のスパイ」のレッテルを貼られて迫害を受けたからです。

 それでも決意は揺らぎません。最後のハードルは日本大使館でビザを発行してもらえるかでしたが、大学の同窓生だった北京国際放送のアナウンサーが助けてくれました。彼のいとこが日本大使館の領事部で働いていたのです。ビザをもらい、一度ハルビンへ戻って写真と日記帳だけを持ち、「脱出」するような気持ちで上海へ向かいました。(聞き手 長戸雅子)

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