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介護、説明できぬ苦しみ 中高時代、母を支えたヤングケアラー

子供のころ精神疾患を抱えた母親を支え続けた経験を持つ坂本拓さん(三宅陽子撮影)
子供のころ精神疾患を抱えた母親を支え続けた経験を持つ坂本拓さん(三宅陽子撮影)
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 病気や障害のある家族の介護などにあたる18歳未満の「ヤングケアラー」。当事者の子供自身が状況を明かさないなど、表面化しにくい上、家庭内の問題ともとらえられがち。国は今月中に支援策を打ち出すが、教育や福祉の垣根を越えた対応が必要だ。(三宅陽子、福田涼太郎)

■自助グループ代表、坂本拓さんのケースは…

 強く優しかった母が精神のバランスを崩したのは、坂本拓さん(30)=横浜市=が中学2年の頃だった。再婚相手の義父と口論が絶えず、リストカットを図ってからは仕事にも行けなくなり、家に籠もることが増えた。義父は仕事で夜遅く帰宅し、4歳年上の姉も関わろうとしない。見て見ぬふりはできなかった。

 学校から帰れば、うつろな目で座る母の姿がある。表情から心の状態を察して声をかけると、涙を浮かべ、ポツリポツリと語り始める。人間関係の悩み、お金の不安…。過呼吸に陥る手を握り締め、ときには深夜まで、励まし、介抱しながら日々をやり過ごした。

 誰にも話さず、学校では平静さを装ったが、部活を終えると帰路を急いだ。就寝時間以外、母の顔色を気にして暮らしていた。

 「鬱(うつ)病」と「パニック障害」という病名を母から告げられたのは高校2年の頃だった。自動車の整備士になりたいと思っていたが、卒業後は母の助けになりたいと祖母に学費を借り、精神保健福祉士の専門学校へ。精神障害者の支援施設で働き始めて1年目を迎えた頃、転機が訪れた。

 母と義父の離婚が決まり、援助金が途絶えた。義父も姉もすでに家を出ており、自宅のローンがのしかかった。家でも職場でも介護に明け暮れ、自由な時間もお金もない。そこまで背負わなければいけないのか-。恐ろしくなった。

 「別々に暮らしたい」。何年ぶりかにぶつけた本音。すがりつかれると思っていた。だが、母は「あなたの人生を歩んで」「応援したい」と言ってくれた。

 家を出てから、家族の距離感に変化が生まれた。姉が母の元を頻繁に訪れて報告をくれ、外にも連れ出してくれるようになった。親との向き合い方に悩んできたのは、自分一人ではなかったのかもしれない。

 「ヤングケアラー」。当時そんな意識はなく、目の前のことを必死にこなしていた。「誰かに相談できていたらと思うことはあるが、何が苦しくて、どう助けてほしいのか説明することはできなかった」。そんな言葉にならない思いを抱えた子供は少なくない。

 精神疾患の親を持つ人らでつくる自助グループ「こどもぴあ」の代表を務め、当事者らが語り合える場所づくりなどに力を入れる。

 「家族のことは、他人が評価できるものではない。『もっとこうしておけばよかったね』でなく、『悩み抜いて最善と思える選択をしてきたんだね』と受け止めてもらえる。そんな場があるだけで救われる思いがある」と感じている。

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