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【一服どうぞ】裏千家前家元・千玄室 心を「無」にするとは

 「狗子(くし)に還(かえ)って仏性(ぶっしょう)有りや、也(また)無しや」。狗(いぬ)の子にも仏性は有るのかと問う有名な禅の公案(こうあん)である。これに対し趙州(じょうしゅう)和尚は一言「無」、仏性などにとらわれていてはならないと。何も無いところから生まれ、「有」という目に見える型が形成されるが、それもいつまでもあるものではなくやがて「無」になる。全て無から始まり無に還る。これは非常に東洋的哲学である。

 では西洋的哲学はというと、私はアーネスト・ヘミングウェーの「清潔で明るい場所」と訳される短編小説を思い浮かべる。カフェで毎晩遅くまで決まった席で酒を傾ける老人がいる。何を語るでもなくただじっと座るその老人自体の姿の中に生きてきたものがあり、それもまた消えて無くなる、すなわちここでも無の概念が出てくる。

 敗戦後、多くの戦友をなくし生き残って還ってきたことに忸怩(じくじ)たる思いを抱えながら、家元を継承するため大徳寺の僧堂に掛搭(かとう)した。つまり修行したのだが、僧堂での作務(さむ)は軍隊とは違い、誰も何も指示をしてくれない。軍隊は指示通りに行動していれば、それがいくら過酷な訓練だろうと済んでいたが、何も指示されないというのには困った。なすべき事(こと)を自分で見つけなくてはならない。そして座禅を組み心を落ち着かせ老師から公案を頂く。ある時「はそうあい」という公案を頂いた。口頭でおっしゃられるだけなのでまずどのような漢字を書くのかから考えなくてはならない。寝ても覚めても考え続けるのだ。後で「破草鞋」と書くことがわかり、いろいろ考えては老師にお答えするのだが中々(なかなか)に難しい。

 この破草鞋の答えも突き詰めれば「無」ということである。もしアフリカの草原でライオンに追いかけられたら、必死で逃げるだろう。草鞋(わらじ)が破れ傷だらけになってもそんなことには気づかずに。この何も考えず気づかず必死になる事こそ、心が無になるという事である。

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