PR

ライフ ライフ

【本郷和人の日本史ナナメ読み】古文書学とは何か(下) 基本原則から「応用」も読める

 あれ、おかしいぞ。本郷さん、今あなたが問題にしている短い文書、綸旨かくの如し、って言ってるんだから天皇のものだよね。それなのに、あなたは春日社には藤原氏が、と述べている。矛盾じゃないの? そう、そこです! 本来、藤原氏の神社である春日神社に指示を出すときは、「藤原氏長者-南曹弁」のルートで出ていました。ところが、承久の乱の後の皇室の努力で、天皇・上皇の権力がぐぐっと増大した。それで、藤原氏のテリトリーだった春日神社に関しても、「天皇(もしくは上皇)-南曹弁」ルートで指示が出るようになったのです。ああ、言い忘れました。文書中で別当弁というのは、南曹弁のことです。

 ちなみに、この文書が記された箇所は、『中臣祐賢記』の文永9年のところ。ですから、この綸旨は文永9年7月28日に作成されたことが確実です。それで、この日時にはどういう意味があるかというと、長く院政を敷いていた後嵯峨上皇が亡くなったのが、文永9年2月17日。あとを受けた亀山天皇は文永11年正月、皇位を皇子である後宇多天皇に譲り、院政を開始します。ですから、この文書が作成されたのは、わずか2年の天皇の親政の時期である。だから、院宣(いんぜん)ではなくて、綸旨なのですね。

 さあ、ここまでで、必要な解説は全部しました。以上を用いて、この文書を解説してみてください。これ、中臣祐賢の字で文書を記して(つまり活字ではないということ)、それから今まで記してきた説明を一切付けないで出題するならば、東大史料編纂所の入所試験としても通用すると思います。

 思いだしてください。えらい人(1)が(2)に文書を出すときは、(2)に相応する身分の(3)を形式上の差出人として立てる。(1)は家来である(3)を通じて、「私の主人の(1)さまが、このように仰(おっしゃ)っています」と(2)に伝えるのです。

続きを読む

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ