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【本郷和人の日本史ナナメ読み】古文書学とは何か(下) 基本原則から「応用」も読める

亀山天皇像(模本、東大史料編纂所蔵)
亀山天皇像(模本、東大史料編纂所蔵)

 当所未作の所々の功程の事、綸旨(りんじ)かくの如(ごと)し、いそぎ注進せしめ給うべきの由(よし)、別当弁殿御奉行候(ごぶぎょうそうろう)ところ也(なり)、よって執達くだんの如し

 七月二十八日

  前(さきの)山城守国清 奉

 謹上  春日神主殿

 これは春日神社の神官であった中臣祐賢(すけかた)という人の日記の中に記載された文書です。中身はここでは問題にしませんので、ごく簡単に。春日神社の建物はしっかり完成させよとの天皇のご命令であります。まだできていない箇所は早々に言上(ごんじょう)しなさいと、南曹弁(なんそうのべん)どのが指示しておられます。取り次ぐことは以上の如くです。だいたい、そんな意味です。

 奈良の春日神社、それに興福寺は、藤原氏の神社であり寺院です。ですから当然、第一の庇護(ひご)者というかスポンサーは藤原氏で、藤原氏のトップである藤原氏長者(うじのちょうじゃ)が何ごとにつけ指令を発していました。藤原氏長者は中世では、関白か摂政に任じた人が務めていて、えらいので実務には携わりません。氏長者の意を受けて実際に仕事をするのが南曹弁。この役職にはちょっと説明が必要でしょう。

 門前の小僧、習わぬ経をよむ、と言います。同じような内容をもつ成句をかつてこのコラムで紹介したことがあるかと思います。そう、「勧学院の雀(すずめ)は蒙求(もうぎゅう)をさえずる」。平安時代前期、貴族は子弟の教育をするために、氏(藤原氏とか大伴氏とか菅原氏など)ごとに「大学別曹」という学校をもっていました。その中で最大のものが藤原氏の勧学院でした。勧学院では新人向けに中国の『蒙求』を講義していたので、勧学院の建物にとまっている雀はマネして『蒙求』をさえずるのだ、というわけです。転じて、学問をするときに、環境がいかに大事か、という意味でも使われます。

 さて、この勧学院=大学南曹のことを取り仕切るのは、弁官の1人、であることが通例でした。弁官は左大弁(さだいべん)から右少弁(うしょうべん)まで、権官(ごんかん)1人を加えて7人。このうち1人(中弁もしくは大弁)が大学南曹の担当となり、南曹弁と呼ばれました。平安時代も後期になると、勧学院は有名無実になりますが、南曹弁は置かれ続け、藤原氏の長者のもとで、文書の発給を行ったのです。

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