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【話の肖像画】歌舞伎俳優・中村獅童(48)(5)「後ろ盾」なくても…

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「若き日の信長」に出演。群衆の1人という「並びの役」だが、一所懸命に演じた=平成7年9月、歌舞伎座?松竹
「若き日の信長」に出演。群衆の1人という「並びの役」だが、一所懸命に演じた=平成7年9月、歌舞伎座?松竹
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 《中学、高校時代、歌舞伎は開店休業状態だった》

 子役と大人の役の間って、もともとあんまり役がないんですよ。それに僕は父親も歌舞伎役者を廃業した、いわゆる“御曹司”じゃないので、なかなか役が回ってこなかった。僕は当時、子役を卒業してだんだん大人の役をやり始めていて、といっても大勢の中の一人といった“並びの役”しかもらえなかったけれど。ただ「萬屋(よろずや)興行」のときだけは大きな役をもらえて力をつけるチャンスだった。でも、僕はそれもほとんど経験しないうちに「萬屋興行」もなくなってしまって。

 入院中の余命いくばくもない祖母から「あなたを一人前にするまで生きられなくてごめんなさい。大学には絶対に行きなさい」って言われました。僕が「なんでですか?」って聞いたら、「学校さえ行っておけば、万が一、歌舞伎役者にならずにお勤めするときでも役に立つから」って言ってました。昔のように歌舞伎役者をやるなら小学校や中学校を卒業しておけばいい、という時代ではないからね。祖母は古い人だけど、そういう先見の明がある人だった。

 祖母に強く勧められたこともあり、大学は普通に受験して、日本大学芸術学部演劇学科に進学しました。バンドをやったり、ラーメン屋でアルバイトをしたり、ファッションに関心があったから洋服屋巡りをしたり、当時は歌舞伎の舞台から離れて自分の好きなことをしていましたね。アングラ演劇からメジャーな芝居までいろいろ拝見しました。

 大学の授業の一環で、歌舞伎も見に行きました。憧れの勘三郎の兄さん(十八代目中村勘三郎、当時は勘九郎)とかの舞台を見ながら、また歌舞伎をやりたいという気持ちがだんだんと大きくなっていったようです。19歳のときに「やはり歌舞伎で生きていきたい」と父親にお願いして、歌舞伎の世界に戻りました。

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