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【ゆうゆうLife】「ヤングケアラー」だった私 突然の介護にSOS出せなかった フリーアナウンサー・町亞聖さん

医療や介護の問題について発信を続けているフリーアナウンサーの町亞聖さん
医療や介護の問題について発信を続けているフリーアナウンサーの町亞聖さん
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 18歳未満なのに、両親や祖父母らの介護や、きょうだいの世話などをするヤングケアラー。困りごとを抱えても、周囲に助けを求める手立てが分からないことも多く、その実態は十分に明らかにはなっていない。フリーアナウンサーの町亞聖さん(49)は、いわば元ヤングケアラーだ。高校3年のとき突然始まった介護の日々は「SOSさえも出せなかった」。自身の言葉で、その経験を振り返った。

 突然、母がくも膜下出血で倒れて、私が介護に直面したのは、平成2年1月。高校3年、受験直前の冬でした。急に介護の「当事者」になり、私の人生はそれまで想像していたものとは大きく違うものになりました。

■長女としての覚悟

 まだ介護保険制度はなく、周囲の環境も、人々の意識も「バリアー」だらけ。車いす生活になった母にも家族にとっても、厳しい時代でした。

 母の介護に家事、中学3年の弟と小学6年の妹の母親代わりもせざるを得ない。けれど、高校の先生にも同級生にも相談できませんでした。介護は家族がして当然。そんな時代でしたから、当初は周囲に「助けて」とSOSを発信する方法さえも分かりませんでした。

 一方、父は「サラリーマンは性に合わない」とずっと個人事業主という形で、お弁当の配達を生業にしていました。貧乏であることは何となく分かっていましたが、母の長期入院などで父の収入はすべて消え、本当にギリギリの生活。大家さんが良い方で、家賃を待ってくれて追い出されずに済みましたが、もしあの時、住まいを失っていたら、今の私は存在していなかったかもしれません。

 ごく普通の青春を送る同級生たちがうらやましく、「なんで私だけ…」とすべてを投げ出したくなったこともありました。

母が倒れた頃、町亞聖さんは慣れないながらもキッチンに立ち、毎日の食事に奮闘した
母が倒れた頃、町亞聖さんは慣れないながらもキッチンに立ち、毎日の食事に奮闘した
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 そんな私を踏みとどまらせてくれたのが、弟と妹の存在でした。長女として、2人を見捨てることはできなかったのです。父は酒飲みで頼りにならず、「自分がやるしかない」と覚悟を決めました。

 「母の病気を理由に人生を諦めたくない」「どんな家庭環境でも自分で人生を切り開くことができる」。弟と妹にそう思ってもらいたかったですし、誰よりもそれを強く願っていたのは私自身だったからです。

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