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【東日本大震災10年】失った教え子 命の尊さ伝える 国学院栃木高女子バレーボール部・曳地俊一監督(48) 

東日本大震災で失った教え子への思いを語る国学院栃木高校女子バレーボール部の曳地俊一監督
東日本大震災で失った教え子への思いを語る国学院栃木高校女子バレーボール部の曳地俊一監督

 東日本大震災から間もなく10年。多くの人が癒えることのない悲しみを抱きながら、前に進んできた。国学院栃木高校(栃木県栃木市)女子バレーボール部の曳地俊一監督(48)は震災当時、福島県相馬市の県立相馬東高校女子バレー部監督。津波で同部の教え子だった河西美沙さん=当時(21)=を失った。「教え子の葬式に出るとは考えてもいなかった」と振り返る曳地監督。指導の場は栃木に移ったが、命の尊さ、感謝の大切さを生徒に伝え続ける。(根本和哉)

■進路への後悔

 10年前の3月11日、相馬市内の自宅で強烈な揺れを感じた。自費を投じた自宅は部員寮も兼ねていた。「ここで死ねるなら本望」と覚悟したが、建物は無事で、難を逃れた。

 当日、部活が休みで部員は自宅に戻っていた。現役部員は全員無事だったものの、地震発生から約1週間後、悲しい知らせが届いた。卒業後も同市に残って働いていた教え子の河西さんの訃報。家族の身を案じて勤務先から海に近い自宅に戻り、波にのまれたとのことだった。

 「負けん気が強く、あっけらかんとしている子だった。野菜が食べられなくて、弁当を作って食べさせたこともあった」。在学中、福島県外のチームからの誘いもあった河西さんだが、最終的には地元に残ることを選択した。「もし自分が(チーム入りを)強く勧めていたら、死ぬことはなかった。10年経っても、この思いは消えない」。今も後悔が残る。

■風化させない

 相馬東高を計4度の全国大会出場へ導いた名伯楽は、平成28年から国学院栃木高に移った。以降は「被災地に住んでいた人間として、関東の人にも震災のことを知ってもらいたい」と、授業で震災の体験を伝えている。「被災地にはまだ苦しんでいる人がいるという現実を知ってほしい」。発生から10年、震災の記憶が薄い今の高校生を前に「風化させてはいけない」という使命感が芽生えた。

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