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【話の肖像画】「世界の盗塁王」元プロ野球選手・福本豊(73)(11) 1年目の優勝「なんか別もん」

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パ・リーグ3連覇を決め、西本幸雄監督を胴上げする阪急ナイン =昭和44年10月、藤井寺球場
パ・リーグ3連覇を決め、西本幸雄監督を胴上げする阪急ナイン =昭和44年10月、藤井寺球場

 《昭和44年の入団1年目のシーズン、阪急(現・オリックス)は西本幸雄監督が就任7年目で、米田哲也、梶本隆夫、足立光宏の主力投手と長池徳二(徳士)を中心に攻撃陣も充実し、パ・リーグを2連覇中だった。俊足を買われて開幕戦から1軍ベンチに入ったが、この年は4盗塁。出場機会を得るため、打撃に課題を感じていた》

 夏頃までは打球が二塁手の頭すら越えんかった。オールスター戦直前に、監督から「一度ファームに行って盗塁の練習をしてこい」と言われた。でも盗塁は1人で練習できないから、打撃練習ばっかりやってましたけど。1軍の試合に出ても代走や守備固めが主で、打席は投手のところでの交代でなかなかチャンスがなかったからね。2軍にいたのは20日間ぐらいやったと思います。監督は本当に盗塁練習をさせようと思っていたと思いますが、打撃ばかり練習した。僕は体が小さくてパンチ力がないから、2軍監督が「体重移動をうまく使って打て」と、よくティー打撃のトスを放ってくれました。当時の王(貞治)さんのように「イチ、ニィのー、サン」というリズムで、足を上げ、後ろに引いて、ステップしてドーンと打つ。「のー」をつけて、ポイントとタイミングを体にたたきこませる。急にガンガン変わったことはなかったけれど、知らないうちにタイミングとリズムは覚えました。

 でもこの2軍での練習のおかげか、1年目には2打席連続本塁打を打っているんです。1軍に呼び戻された秋ごろ、京都・西京極球場の東映戦で、まずは代打で出て森安(敏明)からバックスクリーンへ。そのまま守りに入って、今度は宮崎(昭二)さんから右翼ポール際に。もっともこの年の本塁打はこの2本だけ。翌年はオープン戦で打撃成績がよかったんで、新聞は「今年は1番・センター」と書いてくれた。それを読んで、ひょっとしたら…と思いましたが、開幕したらちゃんとベンチに座っとった。5月にレギュラー外野手の矢野(清)さんが腱鞘炎(けんしょうえん)になって、そのときから使ってもろうたんです。

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