【話の肖像画】「世界の盗塁王」元プロ野球選手・福本豊(73)(9) 阪急指名、新聞に載ってるで
《社会人野球の松下電器(現・パナソニック)に入って3年目となる昭和43年秋のドラフト会議で、阪急(現・オリックス)から7位指名を受けた》
ドラフト当日は会社の上司から「練習終わったら、帰りい」と言われ、「ああ、きょうはドラフトか」と思ったぐらい。その日は大阪・京橋をぶらぶらしてました。同僚の社会人2年目の加藤秀司(英司)がプロに入るというのはわかってましたし、ドラフト前のスポーツ紙には福本という名前は載っていませんでした。近鉄のスカウトが住所と電話番号を教えてほしいと言ってくれましたが、それっきり。ドラフトもプロ野球も全然興味ありませんでした。
(自分のドラフト指名は)翌日のスポーツ紙で知ったんです。先輩に「おーい、名前が載ってるで。阪急から指名されてる」と言われて、それで初めて気づいた。確かに小さく名前が載ってました。
でも、1週間、2週間たっても何の音沙汰もない。「何か言うてきたか?」と聞く先輩に、「絶対におちょくりですわ」と答えていたんです。それでも先輩が「ちょっと本社に聞きに行こうや」と言うので、行ってみると、「実は球団から連絡はきているが、お前とは会わさん。お前は松下電器に残らなあかん」と言われました。
松下電器には当時、加藤(阪急2位)や岡田(光雄、近鉄3位)らがいて、プロ入りで一気にチームから抜けてしまう。僕は野手で体も小さかったから「お前はプロは無理やから会社で断ってるんや」と言われました。全然ショックはありませんでしたが、「行くと決まってないんやから、会わせてください。話を聞くぐらいええやないですか」とお願いして、球団の方と会えることになりました。