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【文芸時評】3月号 性欲とアイデンティティー 早稲田大学教授・石原千秋

 これだけ準備しなければ、李琴峰「彼岸花が咲く島」(文学界)の魅力を語ることができない。不思議な世界を実に細密に書き込んで、いくらでも解釈を誘う反語に満ちた近年稀(まれ)な秀作である。彼岸花が咲き乱れる島に漂着した少女(宇実(ウミ))が、島の少女・游娜(ヨナ)に助けられた。その島では女だけが歴史を担うノロになることができるが、2人はノロの長である大ノロの試験に合格し、宇実もノロとなって島に住むことを許される。この島の人々はニホンを追い出されて島の人々を皆殺しにして住み着き、それでも食べていけないから男たちは弱いものから殺して口減らしをしたが、その愚かさに気づいてこの島の歴史を女たちに手渡した。ニホンとタイワンとの混成語がニホン語で、はじめのニホンの言葉は女語と呼ばれる。この島がやっていけるのは自生する彼岸花が薬草だからで、それと日常品をタイワンと交換して暮らしている。大ノロが死んだ後、游娜は幼なじみの青年・拓慈(タツ)に歴史を話すと決めたところで終わる。

 メデタシメデタシではない。人が男・女というアイデンティティーを持ったとき、どちらも他を排除する。人々がクニのような集団となったときも他の集団を排除する。それを救うのは「両性具有的な主体」だけであるようにも書かれているが、最後はこう結ばれる。「砂浜を覆い尽くす彼岸花は二人の背後でどこまでも妖艶に咲き乱れ続ける」。このニュアンスをどう読むかだ。反語ではないか。この彼岸花は、閉じているように見えるこの島の穴だ。もしこの彼岸花が自生しなくなったらどうするのだろうか。再び殺しあいをするしかないのだろうか。その答えは作中にはない。だからいい。この作品は答えではなく、問いだからである。

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