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【文芸時評】3月号 性欲とアイデンティティー 早稲田大学教授・石原千秋

 日本文学研究者の兵藤裕己は『物語の近代 王朝から帝国へ』(岩波書店)をいきなり「語られる対象を明示しない語りが、ものがたりである」と書き起こしている。平安時代の貴族があからさまに言及できないときに「ものす」とか「ものかなし」というときの「もの」が「ものがたり」の「もの」だという。「みずからの帰属すべき中心をもたない」「両性具有的な主体」こそがこの「『もの』から語りのことばが出現する現場」に立ち会えたのだと。それほど近代は貧しいのだろうか。

 柄谷行人の『日本近代文学の起源』(講談社)は、田山花袋の『蒲団』をして近代文学ではじめて性慾(せいよく)を恥ずべきもの、隠すべきものとして描いた作品だと論じた。付け加えれば、性慾を男性が女性に対して抱くものとして描き、さらに女性の性慾を打ち消そうとした作品とも言っておきたい。フロイト的に言えば、性慾とは他者である。近代人にとって性慾の現れ方は文化かもしれないが、性慾そのものは「本能」としてやってくるように感じられた。それは近代文学における「もの」の役割を果たした。だから当代きっての知識人である漱石文学の主人公たちは、男性の性慾にも女性の性慾にも戸惑い、怯えるのだ。谷崎潤一郎は自分の性慾のあり方は他人とちがっていると感じ、それを文学化した(千葉俊二『谷崎潤一郎 性慾と文学』集英社新書)。三島由紀夫は他人とは違う性慾に社会性を与えた(佐藤秀明『三島由紀夫 悲劇への欲動』岩波新書)。これが近代文学における「もの」だといえるが、それがアイデンティティーとなったとき問題が起きる。

 フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』(海老坂武、加藤晴久訳、みすず書房)は、いくらデータを示してもヨーロッパ人は黒人のペニスが巨大だと思い込んだままだったと言う。最近アイデンティティー政治とよく言われるが、白人男性というアイデンティティーはすなわちセクシュアル・アイデンティティーだったのである。「もの」がアイデンティティーとなるか否かが問題なのである。

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