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【話の肖像画】「世界の盗塁王」元プロ野球選手・福本豊(73)(7)高3で甲子園「あっ、負けた」

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大阪府大会を勝ち抜いて出場した第47回全国高校野球選手権の開会式=昭和40年8月13日、甲子園
大阪府大会を勝ち抜いて出場した第47回全国高校野球選手権の開会式=昭和40年8月13日、甲子園

 《昭和40年夏、大鉄高(現・阪南大高)3年生のときに大阪府大会を勝ち抜き、甲子園に出場した》

 僕が1年生のときに就任した網智(あみ・さとし)監督(当時)が「甲子園に行くぞ」と3年計画で熱心に指導してくれたんです。僕は1年生の夏の大阪府大会予選から背番号「9」をもらい、右翼手で試合に使ってもらった。そのため先輩からは目をつけられ、練習が終わってから「ちょっと来い」とよう呼び出されましたね。先輩の「しごき」を受けても、野球がうまくならへんからイヤやったけど。高校には野球をしに行ったわけじゃなく、野球で楽しもうという感じやったのにね。

 大阪府は当時、「私学7強」の時代。3年生の夏の府大会準決勝でPL学園に勝ったときは、ほんまにうれしかった。2年連続で負けていましたから、ユニホームを見るだけで圧倒される。決勝の興国高にも勝つと思わんかった。スイスイ勝って運良く甲子園に行けました。開会式での入場行進は「うわっ、でかあ」と思いながら歩いていましたね。

 《府大会に続き、甲子園でも「1番・中堅手」で出場。初戦、この大会で4強入りした秋田高と対戦してサヨナラ負け。苦い思い出となった》

 試合は忘れられへん。3-3の延長十三回裏で向こうの攻撃。2死三塁で、打球がフラフラと二塁ベース後方に上がった。それを中堅手の僕も二塁手もパッと見てしもうて、お見合いした。ポテンヒットです。一瞬、ポカンとして「あっ、負けた」と。二塁手はちょっと泣いとったけど、僕は知らん顔。悪いことをしました。やっぱり僕ですね。外野手がそのまま真っすぐ捕りにいったら、すんなり捕れていた。どっちも声を出していたと思うんですけどね。悔いの残るプレーだった。もし、捕っていたら十四回は僕が先頭打者で、「今度は自分からやな」と用意しとったんやけど。この試合、初回に僕が四球で出塁。盗塁も成功し、次打者が送りバント。それが失策を誘ってヒットなしで1点を取った。簡単に勝てると思いすぎたんやね。あのサヨナラ負けで、守備への意識が高まりました。

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