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【話の肖像画】「世界の盗塁王」元プロ野球選手・福本豊(73)(4)うまかった、おやじのラーメン

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昭和23年、生後7カ月くらいのころ
昭和23年、生後7カ月くらいのころ

 《昭和22年、大阪市生野区に3人兄弟の長男として生まれた》

 おやじ(豊次(とよじ)さん)は気が短かったけど、僕には優しかったですね。いたずらは怒らんかったけど、悪いことをしたときは、ごっついしばかれた。ご近所の庭で柿泥棒をしたときはえらい怒られました。あと小学校1、2年生のときかな、駄菓子屋でお菓子をへーかまして(盗んで)帰ったら、あとでおやじが金払いに行っとった。殴りはせんかったが、後ですごく怒られましたね。おやじはこれをするな、あれをするなとは言わず、好きなことをさせてくれました。

 《豊次さんは海軍の潜水艦乗りとして従軍し、最前線で戦っていた》

 軍隊生活は厳しかったようです。「潜水艦に乗ったらいつも『これで終わりや』と思って戦場に出ていた。怖かった」と言っていました。一度潜ったら、いつ爆撃に遭うか分からん。ええ潜水艦じゃなかったから、ミシミシと音を立てて水が入ってきたり、水圧でどこかがつぶれたりしたと言っていましたね。ある夜、どこかの港で潜水艦に水や食料を積んでいたら、隣に停留していた潜水艦がアメリカの潜水艦か何かに攻撃されたのか、すぐそばでドーンと爆発したこともあったと話していました。「隣の潜水艦で積み込み作業をしていたら俺らはおらへんかった」と。詳しくは聞いていませんが、終戦直前には特攻隊員の乗る船でフィリピン沖に出撃したようです。

 《死線をくぐりぬけて復員した豊次さんは、戦後の混乱期、苦労して家族を支えた》

 おやじは戦後しばらく、行商をしており、トランプや花札などの遊戯品を背負って、城崎やら鳥取やら日本海側の温泉街によく行っていました。それが僕が小学校5年生のとき、急に「ラーメン屋をやるわ、食うに困らんから。お前らにうまいもん食わしたらなあかんから」と言って、大阪市生野区から布施(現・東大阪市)に引っ越し、屋台を引いてラーメン屋を始めたんです。どこかで修業もしたんかなあ。しょうゆラーメンで、そりゃうまかった。おやじはよう「体に絶対ええからスープだけでも吸うとけ」と言っていました。スープはおやじの自慢。今も似た味のラーメンが神戸・三宮にあるんです。もともとラーメン好きやから、今でもラーメンを食べては「うちのラーメンに近いな」と思うことがあります。とんこつラーメンのような濃いやつはたくさん食べられんから、やっぱりしょうゆラーメンやね。

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