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【100年の森 明治神宮物語】聖蹟(2)天覧山と飯能「幻の表参道」

◆戊辰戦争の傷癒やす行幸

 ところで、なぜ近衛兵の演習が飯能で行われたのだろうか。

 「明治天皇紀」に理由の記述はなく、市立博物館も「証拠に足るような資料はない」としている。ただ、飯能は戊辰戦争で「飯能戦争」と呼ばれた戦いの場となり、官軍の攻撃で中心部は焼け野原になった。15年後、明治天皇を迎えることで人々は沸き立ち、それまで羅漢山だった山の名前は天覧山に改められた。行幸が飯能の傷を癒やしたことは確かであり、地元では飯能戦争が演習地に選ばれた理由と伝えられている。

 明治天皇が2泊した家は現在、公園になっており、通りには明治天皇の似顔絵入りの看板もある。前出の沢辺さんは「ここに記念碑を建てたい」と話す。公園は沿線の小学生の遠足ルートにも近く、行幸の歴史が後世に伝わることを願っている。

 登りやすい天覧山には、休日は子供連れの姿も珍しくない。市街地に最近立てられた看板も含め、総じて市民との距離が近く、現代に生きる聖蹟(せいせき)がこの街にはある。

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