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【100年の森 明治神宮物語】聖蹟(2)天覧山と飯能「幻の表参道」

天覧山の展望台からの眺めを楽しむ人々。休日には子供たちの姿もある =13日、埼玉県飯能市(酒巻俊介撮影)
天覧山の展望台からの眺めを楽しむ人々。休日には子供たちの姿もある =13日、埼玉県飯能市(酒巻俊介撮影)
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 野球の天覧試合、天覧相撲のように、天皇が見たことを示す「天覧」の名が付く山が埼玉県飯能市にある。標高197メートルの山頂には展望台が設けられ、飯能市街や奥武蔵の山々を一望できるほか、遠く富士山も天候が良ければくっきりと見える。

 この天覧山に明治16年4月18日、明治天皇は近衛諸兵の対抗演習を視察するため足を運んだ。山頂に着くなり「ああよい景色」と口をついて出たと伝わり、展望台の背後には行幸(ぎょうこう)記念碑がある。愛馬「金華山号」をつないだとされる「御駒繋松」の碑も、山道の途中にある。

 「明治天皇紀」によると、最初に天覧山から視察した明治天皇は、少し離れた第二御覧所に馬を進め、再び演習を見た。前飯能市長の沢辺瀞壱(せいいち)さん(80)ら明治神宮崇敬会飯能支部のメンバーが、同市中居にある第二御覧所の記念碑に案内してくれた。しばらく雑木に埋もれていたが近年は手入れが行われ、第二天覧山と地元で呼ばれているという。「ここから見える景色が、当時は全部畑だったんです」と沢辺さんは話す。

 もう1カ所、同市には明治天皇に深いゆかりを持つ場所がある。大正2年2月、当時の小山八郎平・飯能町長は、この地にある朝日山の一帯に明治神宮を建設するよう、国に請願書を提出した。ここは東京・代々木に次いで具体的な造営計画が示された、明治神宮の候補地だった。

◆現代に伝わる誘致活動

 朝日山に近い同市稲荷町のこども図書館の前に、「割岩通り(幻の表参道)」と記された看板が立っている。明治神宮が誘致されていれば、確かにここは表参道だった。看板を設置したのは市民団体「飯能まちなかを元気にする会」で、平成25年から市内の路地の愛称を募集し、27年から看板を設置した。この活動で改めて光が当たったのが、約100年前の神宮誘致活動だった。

 請願書では、「俗界と離れ崇高幽邃(ゆうすい)」という風致、「帝都との交通も宜(よろ)しく」という好立地、そして天覧山行幸の由緒から、神宮造営地として「最適当」と訴えている。

 ここでいう交通とは、大正4年に東京・池袋-飯能間で開通した武蔵野鉄道(西武鉄道池袋線の前身)を指している。2年9月に再度提出した請願書では、開通後は東京から1時間半で着くことを強調した。明治神宮誘致の請願は各地から13候補地39件に及び、最も数が多かったのは富士山の22件だったが、朝日山の片道1時間半は大きな優位性だった。

 しかし、誘致は実現しなかった。そもそも明治神宮の造営は、東京に明治天皇の陵墓を求めた東京市民らの陳情と、実業家の渋沢栄一らの国への働きかけが原点にあり、代わりの神宮造営地は代々木に決定。飯能の表参道は「幻」に終わる。

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