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【大場一央の古義解~言葉で紡ぐ日本】松平定信 経済立て直しは心の立て直し

 田楽の 串々思ふ 心から 焼いたがうへに 味噌をつけるな『甲子夜話(かっしやわ)』

 江戸中期、寛政の改革を進めた老中で白河藩(現福島県)藩主、松平定信(1759~1829)を批判した狂歌「白川の 清きながれに 魚すまず にごる田沼の 水ぞ恋しき」は、日本史を学ぶ誰もが目にしたことがあるだろう。定信の倹約令や出版統制は評判が悪く、賄賂政治で腐敗していた田沼(意次の)時代の方が景気が良くてましだったというものだ。このような人物評は現代にまで定着する。ただ、「資本主義の父」と呼ばれた明治の実業家、渋沢栄一は定信を高く評価した。

 明治初頭、近代都市・東京の建設が進んでいた。銀座の街並みはあっという間にモダンになり、東京の顔となった。ガスや水道網の拡大にはじまり、街灯やレンガ敷きの街づくり、馬鉄や鉄道の延伸、学校や養育院(現東京都健康長寿医療センター)の整備を引き受けた渋沢は「一連の事業は定信のおかげだ」と述懐している。

 白河藩主時代の定信は朱子学を学ぶ傍ら、儒教を修め、物事の道理を見極める目を養った。物事のありようをじっくり観察するうちに、そのものの持つ奥行きや調和を味わう手法だ。観察を重視するのは、定信が編纂に携わった古宝物の図録集「集古十種(しゅうこじっしゅ)」で徹底して実物を模写し寸法を細かく記した姿勢に表れる。

 思い込みや視点を押しつけずにいれば、生まれつきの偏った見方や経験で歪んでみえていた物事が本来の筋道を示してくる。物事の処理は、その筋道に従えばよい。そんな思考を持った定信が推し進めたのが「社倉」と、それを発展させたといえる「七分積金」だ。

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