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【100年の森 明治神宮物語】皇后(下)時代を先取りした救護の精神

明治天皇が美子皇后のために設けた隔雲亭(空襲で焼失後に復元) =東京都渋谷区(飯田英男撮影)
明治天皇が美子皇后のために設けた隔雲亭(空襲で焼失後に復元) =東京都渋谷区(飯田英男撮影)
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明治天皇の愛情深く

 美子皇后は左大臣、一条忠香(ただか)の三女として生まれ、明治元年12月、十代の若さで皇后となった。明治天皇との間に子供はなかったが、晩年の美子皇后に仕えた山川三千子は「女官 明治宮中出仕の記」(講談社学術文庫)で「(明治天皇の)御愛情は深く、何かとお心使いを遊ばされ」と記し、鼻筋の通った皇后を「天狗(てんぐ)さん」の愛称で呼び、皇后が風邪気味で御所に姿を見せないと、すぐにお見舞いの使いが来たと振り返っている。また、後に明治神宮が建つ代々木御苑に、皇后のためにご休息所「隔雲亭(かくうんてい)」を33年に建ててハナショウブを植えさせ、皇后が9回もここに足を運んだことは、「記憶」の章に書いた通りだ。

 45年7月、明治天皇は病のため崩御した。美子皇后も皇太后となって2年後の大正3年4月、狭心症のため崩御している。最初の発作の後、眠りから覚めて女官たちに「いま私が急いで桃山の明治天皇様のおそばに行こうとするのに、皆がまだ成らせられてはいけませんと止めるので、しかたなく引返したが、三十年後の日本の姿は見たくないものを、早い方がいいね」と話したという(前掲書)。桃山とは、明治天皇の陵墓がある京都市伏見区の地名だ。

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