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【100年の森 明治神宮物語】皇后(下)時代を先取りした救護の精神

明治35年の日本赤十字社創立25周年記念式典に臨席する美子皇后を描いた「赤十字社総会行啓」 (湯浅一郎画、聖徳記念絵画館所蔵)
明治35年の日本赤十字社創立25周年記念式典に臨席する美子皇后を描いた「赤十字社総会行啓」 (湯浅一郎画、聖徳記念絵画館所蔵)
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 明治10年3月、九州で西南戦争が勃発した翌月の「昭憲皇太后実録」には、次のような記述がある。

 「皇后並(ならび)に皇太后は戦闘によりて生じたる多数の負傷士卒に深く御哀憐の情を垂れさせたまひ、其(そ)の治療に用ふる綿撤糸(編注・ガーゼ、以下同)を御手づから製したまひ、又(また)女官をも之に従事せしめらる」

 美子(はるこ)皇后(昭憲皇太后)と英照皇太后は、ガーゼ100反分のほか、白木綿、ぶどう酒などを負傷した兵士に届け、さらに「傷つきて病床に在る者には官賊(敵味方)の別なく用ひしめよ」と指示したという。

 美子皇后が情熱を注いだ対象の一つに社会福祉への支援がある。「明治日本のナイチンゲールたち」(今泉宜子著、扶桑社)などによると、西南戦争の際、後に日本赤十字社となる博愛社が兵士救護のために設立され、美子皇后はこの支援を一貫して続けた。戦時に限らず、災害時の救護や平時の備えにも目を配った点が時代を先取りしており、例えば21年の磐梯山噴火では被災者救護を日本赤十字社に命じ、同団体による天災救護活動の始まりとなった。

 貧しい人々の医療のため設けられた有志共立東京病院(東京慈恵医院)の総裁にも就任した。国際的に有名なのは「昭憲皇太后基金」だ。45年にワシントンで第9回赤十字国際会議が開かれた際、「平時における赤十字救護事業を奨励するため」と10万円(現在の約3億5千万円)を寄付した。これらも、奈良時代の光明皇后が施薬院で示した皇室の伝統を受け継ぐものだった。

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