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【TOKYOまち・ひと物語】ボディビルのレジェンド、宮畑豊さん 作り上げた肉体改造の聖地

トップアスリートから障害者にまで愛されるトレーニングの聖地「サンプレイ」を作り上げた宮畑豊会長=1月26日、東京都台東区(石原颯撮影)
トップアスリートから障害者にまで愛されるトレーニングの聖地「サンプレイ」を作り上げた宮畑豊会長=1月26日、東京都台東区(石原颯撮影)

 JR御徒町駅近くの高架下にある「トレーニングセンター サンプレイ」。日本ボディービル界のレジェンド、宮畑豊会長(79)が立ち上げた創業40年を超える老舗ジムは、トップアスリートから健康増進目的の愛好家まで、幅広い層から熱狂的な支持を集めている。その背景には、自身がけがで1964年東京五輪の出場を逃し、寝たきり生活となった苦い経験があった。(石原颯)

 サンプレイの看板に書かれたスローガンは「より美しく! より逞(たくま)しく! より健康に!」。中に入ると、平日の昼下がりにもかかわらず、サラリーマンらがウエートトレーニングやマシンで汗を流していた。期待の若手格闘家の姿もある。宮畑さんから声をかけられた男性は「会長に見られているだけで筋肉が大きくなりそうですね」と笑顔を見せた。

 宮畑さんはボディービルの世界大会で3位の実績の持ち主。東京ボディビル・フィットネス連盟の理事長を長年務めるなど業界の発展にも尽力してきた。五輪金メダリスト、横綱に超有名歌手まで、指導した会員もそうそうたる顔ぶれだ。

挫折きっかけに

 ジムを開くきっかけとなったのは若かりし頃の挫折だった。奄美大島出身で幼少期から格闘技にのめり込み、高校時代には鹿児島県大会で柔道と相撲の2種目で優勝。卒業後は大阪の企業に就職し、日の丸を背負うことを夢みていた。

 しかし、腰に違和感を覚え始め、下半身にしびれが出るなど日常生活にも支障が出るようになった。脊椎分離症と診断され、医者には「明日、手術します」と宣告されたという。

 ただ、「手術で成功した人を見たことがなかった」と宮畑さん。病院を転々としながら自力回復の道を模索した。温泉療法などあらゆる手段を試しながら歩行訓練を行い、徐々に回復。当初は10分歩けば高熱が出るほどの状態だったが、数時間歩行できるようになり、社会復帰につなげた。

 その後、再就職した企業でボディービルに出合い、やがて大会にも出場するようになった。

 「柔道の経験も生かしてトレーニングをできる環境をつくりたい」。昭和52年に現在の場所に近いビルの4階にジムをオープン。肉体改造のための激しいトレーニングと同時に、中高年の健康増進という側面も備えた。痛くない方へ動くと痛みが抑えられる体の仕組みを生かす「操体法」と呼ばれる理論も導入した。

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