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【書評】『炎の人 ペルー日系人 加藤マヌエル神父』

「炎の人 ペルー日系人 加藤マヌエル神父」
「炎の人 ペルー日系人 加藤マヌエル神父」

■清貧、厳格、圧巻の生涯

 同じ南米にあるスペインの旧植民地でも、豊かなアルゼンチンと貧しいペルーは対照的だ。

 ある日系企業の社員がペルーの首都リマ北西部の砂漠地帯にある児童養護施設「エンマヌエルホーム」を慰問し、近隣のスラム街の児童3500人に食料品やココアなどを配ったときの写真を見たことがある。長時間並んでプレゼントをもらった子供たちにほとんど笑顔がなく、生活の過酷さを実感させた。

 そのエンマヌエルホームを創設し、托鉢(たくはつ)僧のように日本全国を頻繁に行脚して運営資金を集めたのが、本書の主人公で日系二世の加藤マヌエル神父(本名・加藤正美)である。

 本書には、加藤神父の少年期が貧困と、第二次大戦でペルーの敵国だった日本人に対する嫌がらせとの闘いで、神父になってからも次々と襲いかかる困難の中、まるで宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の主人公のように、90歳で亡くなるまで、ひたすら行動した様子が描かれている。

 加藤神父の両親は大正7(1918)年に愛知県からペルーに移住したが、仕事にことごとく失敗した。加藤少年は極貧の中で育ち、育英資金を得て、カトリック系の学校に進学。21歳でカナダの神学校に留学後、29歳で来日。日本語を習いながら浦和の修道院など、全国各地の教会、神学校、修道院などに勤務し、50歳でペルーに戻った。

 ペルーに戻ると、日系ペルー人に布教活動をしながらエンマヌエルホームを創設。そこに総合診療所、老人ホーム、職業訓練校なども併設し、貧しい人々の救済に生涯をささげた。

 清貧を貫き、修道服は擦り切れ、靴はつぶれ、下着は継ぎあてのものだったという。

 人柄は厳格で、いつも厳しく叱るので、最初は信者たちにも敬遠されたそうである。それもこれも、日本人らしい責任感や勤勉さを身につけ、力強くペルー社会を生き抜いてほしいという親心からだったという。

 自動車の運転が大好きで、いつも猛スピードで飛ばし、別の車の女性ドライバーを罵(ののし)ることもあったという、人間臭い一面も紹介されている。

 本書を読むと、「炎の人」というタイトルの意味がよく分かる。まさに炎が噴き出るような、圧巻の生涯である。(大塚文平著、クレアリー寛子編修/日相出版・1800円+税)

 評・黒木亮(作家)

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