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興福寺旧境内の瓦窯跡、操業開始は奈良時代後半

現地保存されることになった瓦窯跡(橿原考古学研究所提供)
現地保存されることになった瓦窯跡(橿原考古学研究所提供)

 興福寺(奈良市)の旧境内から出土した「登大路瓦窯跡」について、操業開始時期は奈良時代後半にさかのぼることが分かった。同寺に瓦を供給していた瓦窯のうち、「興福寺流記(るき)」に記された通称「西瓦屋」の可能性がある貴重な遺構といい、奈良県は奈良時代後半の3基を現地保存する。

 現場は県庁の北側で、県立美術館の整備に伴い橿原考古学研究所が平成29年度に調査を実施。橿考研によると、見つかった瓦窯跡は計12基で、うち4基は平氏による南都焼き討ちで焼けた興福寺の再建に際し瓦を焼いた可能性が高いという。奈良時代後半にさかのぼる3基の遺構は良好に残っており、構造がよく分かる状態となっている。

 興福寺造営に関わる瓦窯は「梅谷瓦窯」と「荒池瓦窯」、通称「西瓦屋」の3つがあったとされる。「登大路瓦窯跡」はこのうち「西瓦屋」の可能性があり、主要伽藍(がらん)完成後の瓦を供給していたとみられる。中世にも利用が継続し、大寺の瓦を造る体制の変遷を知るうえで貴重という。

 奈良時代後半の3基については埋め戻してあり、現地保存する。

 県では現在、埋蔵文化財の保存・活用のための指針作りを進めており、希少性など重要な文化財を評価するための基準を設定する考え。

 荒井正吾知事は「判断するにあたっての基準が必要ということで、案の段階だが指針ができかけている。今回は実質この案を適用した」としている。

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