PR

ライフ ライフ

画家、野見山暁治さん100歳 「広くて深い、宇宙観を描きたい」 年明けに個展も

「100歳?そんな意識はないよ」と語る野見山暁治さん=東京都練馬区のアトリエ
「100歳?そんな意識はないよ」と語る野見山暁治さん=東京都練馬区のアトリエ
その他の写真を見る(1/4枚)

 まさに「描くことは生きること」を体現する画家だ。洋画の大ベテラン、野見山暁治さんは12月17日に100歳になった。アトリエには制作途中の絵が並び、筆はいよいよ奔放に。年明けには東京と京都で個展を開く予定だ。「限られた画面から広い宇宙観のようなものが出てくる、手品のような絵を描きたい」-。いまだ挑戦の日々という野見山さんに聞いた。

初期から新作まで約60点

 「絵描きになってよかった。定年もないしね」

 体を動かすのが億劫(おっくう)なときもあるそうだが、ほぼ毎日アトリエでウロウロする。絵に近づいたり、離れたり。「描くこと自体が運動だからね」。健康の秘訣(ひけつ)らしい。

 来年1月9日から東京の日本橋高島屋で始まる個展はずばり、「100歳記念 すごいぞ!野見山暁治のいま」展。1959年から現在に至る画業を約60点で見渡す企画だ。「自分が100歳という意識はどこにもない。できれば展覧会名から“100歳”を外してもらいたいくらいだけど、それがデパートの“ウリ”だから」と笑う。「年齢は自分で勝ち取ったものではなく、自分の横を常に流れているようなもの」。コンベヤーや川の流れにただ乗って、百寿までたどり着いたような感覚だそう。

手品のようなもの

 福岡の筑豊で生まれ、幼少期の遊び場はボタ山(廃棄された石炭塊の山)だった。絵は「皆といたずらして遊ぶうちに、覚えたんじゃないですか」。周りの子の絵や漫画、挿絵などをまねて、描く楽しさを覚えていったのだろう。

 「絵とは独創と思いがちだけど、基本は人のまね。その中に、ちょっとでも自分らしいものがあれば、それを個性と呼んでもいいのかなと思う」

 後年、画家になる上で大きかったのは、中学の美術部の先生との出会いだったという。「先生があるとき窓から見える風景を指さして『庭の木があるだろう、後ろに家があって、その向こうに山があって…この小さな画面の中にすべて入ると思うか?』と問われた。つまり要約なんだよ、と。どうやったら入るのか。どう省略するのか。自分なりの方法を見つけるのが絵だと知った。そうか、絵は手品のようなものだなと思いました」

 山をそっくりに写すだけでは「模造品に過ぎない」という。「山のかたちではなく、山の持つ大きさを出せたら、皆びっくりするでしょ。限られた画面のなかに、広くて深い宇宙観のようなものを生み出さなきゃ意味がない」

 野見山さんの絵は抽象的で、一見、何が描かれているのかわからない。例えば個展に出品される「近よってはいけない」(2012~18年)は、炭坑を思わせる画家の原風景のようにも、原初の地球のようにも見える。しかし画家は、具体的なモチーフはないと言い切る。画題も完成後に便宜上付けているもので、そこに引っ張られてほしくない、とも。「何となく、こういうものを描きたいなというのはあるんです。でも口で言えないから、描く」

 人や風景、事物を足がかりとしながらも、描き続けるのはその背後に隠れている存在、現象を超えて在(あ)るもの。野見山さんの画業とは、それを色と線で捉えようとする不断の営みといえる。

売れなくても結構

 東京国立近代美術館やブリヂストン美術館(現・アーティゾン美術館)など主要館で何度も回顧展を開き、美術界への貢献で文化勲章も受章。画壇の大重鎮であるはずだが、いつも飄々(ひょうひょう)として気取りがない。「絵描きは僕の場合、職業といえるかどうかは疑問。絵は食えないからね」と話す。

 大学で教えたり講演をしたり、随筆の名手としてペンの力を発揮しながら描き続けてきた。「商売じゃないから好きなように描ける。道楽かも」と笑う。ただ、野見山さんのような例は稀(まれ)だ。12年間暮らしたフランスでは画廊が作家を育てる文化があったが、日本はそれが乏しい。絵描きが食えない日本の未来は決して明るくないと心配する。

 好きな絵といっても、描けない時期もあった。戦争の影が迫る開戦前夜に東京美術学校に入り、繰り上げ卒業で応召。満州に派遣されるも病で一時死線をさまよい、療養所で終戦を迎えた。「戦争が終わってよかったという喜びより、明日からどうやって生きていこうかと茫然(ぼうぜん)とした。国は平気な顔して『これからは文化国家です』という。絵を描こうと何しようと自由です、と」

 世の中に対し疑心暗鬼になり、描けない時期が続いた。いま振り返ると画家人生の大スランプ期だったという。

 野見山さんは後年、戦没画学生の絵を集めた「無言館」(長野県上田市)の設立に尽力するが、著書の中で長年の苦悩をこう明かしている。「『おれは卑怯(ひきょう)者だったんじゃないか。逃げてきたんじゃないか』という後ろめたさがずっと抜けないんですよ。(略)それでぼくは今も生かされているのかもしれない」

 平和を希求しつつ、戦争はいつかまた起こると確信する。つかの間の幸福が少しでも長く続くよう、絵は何ができるか。人災だけでなく、大震災やコロナ禍など時に猛威をふるう自然の中で、人間はいかに生きるべきか。100年の経験を糧に、野見山さんは本質をつかみ、われわれに提示しようと奮闘している。

ますます自由に奔放に

 7年前、93歳のときに初めて百貨店で本格的な個展を開いた。美術館とは違う、デパートならではの気楽さで、「どう見たらいいですか?」などと素朴に聞いてくる来場者の反応が新鮮だったそう。

 「音楽や文学について人は好き、好きじゃないと言うけれど、絵は『わからない』という言い方をする。なぜ絵はわからなきゃいけないと思うんだろう。好きか嫌いでいいんです」

 狩猟の成果を記録した古代の洞窟画に始まり、信仰を表す宗教画、写真が発明される前の肖像画…。「絵に目的があった時代とは違い、なんでもないものを描く現代の絵画に対して、人は見る方向を失ったのかもしれない」と分析する。「本当は僕もみんながすっと入れる絵を描きたい。今は僕の“入り口”の前で、みんな困っているわけだ(笑)」

 本当にそうだろうか。野見山作品は抽象世界だが、見る人それぞれの自由な想像を受け止める、懐の深さと広がりがある。豊かな色彩と奔放に繰り出される筆触で、めくるめく世界へ連れ出してくれるのだ。

 「本当はわかってもらわないと、描いてる意味がないんだ」。ようやく“手品師”の本音がのぞいた。  (文化部 黒沢綾子)

     

のみやま・ぎょうじ 1920(大正9)年、福岡県穂波村(現・飯塚市)生まれ。43年、東京美術学校(現・東京芸術大学)油画科を卒業し応召。52年に渡仏し64年に帰国。81年まで東京芸大教授を務めた。58年安井賞、92年芸術選奨文部大臣賞、2000年文化功労者、2014年文化勲章を受章。文筆家でも知られ、『四百字のデッサン』で日本エッセイスト・クラブ賞。近著に『どうにもアトリエ日記』『野見山暁治 人はどこまでいけるか』など。

 「100歳記念 すごいぞ!野見山暁治のいま」展は2021年1月9~18日、日本橋高島屋S.C.本館8階ホールで開催。一般1000円、大学・高校生800円。混雑緩和のため、同展の公式HPから日時事前予約を推奨している(2020年12月26日午前10時から予約開始)。3月3日~15日、京都高島屋に巡回予定。

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ