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【大場一央の古義解~言葉で紡ぐ日本】(32)栗山潜鋒 皇室を語る側の作法とは

 譬(たと)へば魚の爛(ただ)れて、外に未(いま)だ見えずして内に先ず潰(つぶ)るるが如し『保建大記』

 山城国(現京都府)に生まれた栗山潜鋒(くりやま・せんぽう、1671~1703年)は、山崎闇斎の弟子で、神道と儒教に通じた学者、桑名松雲に弟子入りし、八条宮尚仁親王の侍読となった儒学者である。山崎闇斎もまた京都人であり、「崎門学派」と呼ばれる神道と朱子学の一派を形成した大家である。

 崎門の特徴は厳格なまでの朱子学一尊であり、原理主義的な論調は仏教批判のみならず、陽明学派や古学派も激烈に攻撃した。また、闇斎が神道を独自の解釈で思想化した「垂加神道」を提唱するや、崎門内でも抗争が勃発。「崎門の絶交」(崎門学派はいつもどこかで誰かが争い、絶交をくり返すほど圭角がひどい)という言葉まで生み出した。

 この崎門が歴史を取り扱うと、「節義」や「大義名分」を大上段に構え、歴史上の人物を「尊皇」か否かで片っ端からなで切りにしていく。そこには個人的な事情や時代性に対して、三舎を避けようという謙虚さは微塵もなく、みずからの正義をごり押ししていく。

 その筆は「孔子を大将に、孟子を副将に中国が攻めてきたら、儒者だからといって遠慮することなく、これを縛り上げて送り返すのだ」と怪気炎をあげたかと思えば、「江戸は覇者の都なので一歩も足を踏み入れない」と凄まじい。

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