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【島を歩く 日本を見る】万骨眠る密林に思う 西表島(沖縄県竹富町) 小林希

宇多良炭坑の遺構で、石炭を運ぶトロッコが走ったレールの支柱。ジャングルにのみ込まれつつある
宇多良炭坑の遺構で、石炭を運ぶトロッコが走ったレールの支柱。ジャングルにのみ込まれつつある
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 八重山諸島の西表島(いりおもてじま)(沖縄県竹富町)には、約80年におよぶ炭鉱の歴史がある。平成19年、西表島の炭鉱関連施設が、経済産業省の「近代化産業遺産群」に認定された。沖縄特産の黒糖とともに「黒いダイヤ」と呼ばれる石炭。ただ、地元の人を含めて炭鉱の歴史を知る者は少ない。

 竹富町などによると、明治18年、民間商社が沖縄県で唯一石炭が発見された西表島で試掘をし、翌年に明治政府の後押しで採掘事業を開始した。島西部に浮かぶ内離島(うちばなりじま)が、「西表炭坑」の最初の舞台である。

 内離島は炭層が発達しており、島内のあちこちに坑口が開けられた。採掘に従事する千人ほどが暮らし、納屋、学校、商店、郵便局などが建てられ、村が形成された。

 昭和に入ると、採掘は浦内川支流の宇(う)多(た)良(ら)川沿いに移った。採掘業者の坑主は炭鉱員の娯楽用に芝居小屋も作ったが、炭鉱員は過酷な労働とマラリアに苦しめられた。逃亡に失敗して亡くなった人の多くは、密林の中で白骨となった。地元の人たちは炭鉱員に同情的で、逃亡の手助けをするケースもあったそうだ。

 そもそも炭鉱員たちは、募集の甘言にだまされて内地からきた者が多い。大正時代には、台湾や朝鮮半島からも多数がきている。2畳部屋を2人で使い、納屋頭のもと生活や労働の一切が管理されていた。賃金は炭鉱の購買所のみ通用する金券で、逃亡防止策でもあった。

 明治以降、近代化と軍需産業に貢献してきた炭鉱事業は、重油への転換という「エネルギー革命」などを経て、やがて縮小に向かった。

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