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夢を追いかけた「物理屋人生」 小柴昌俊さん死去

2002年12月、ノーベル賞授賞式を終え、物理学賞のメダルを手に笑顔の小柴昌俊氏=ストックホルム(共同)
2002年12月、ノーベル賞授賞式を終え、物理学賞のメダルを手に笑顔の小柴昌俊氏=ストックホルム(共同)

 「自分の夢を追いかけさせてもらっているのだから苦労など感じなかった」

 超新星爆発で生じた素粒子「ニュートリノ」の観測に世界で初めて成功してノーベル物理学賞を受け、12日に亡くなった東京大特別栄誉教授の小柴昌俊さんは、受賞決定後の記者会見でこう語った。

 ニュートリノ観測を通じて宇宙の誕生や物質の成り立ちを探るニュートリノ天文学という研究分野を開拓したが、当初から物理学を志していたわけではない。旧制一高(現在の東大教養学部)時代に偶然、物理学の教授が「小柴は出来が悪い。(最難関の)物理学科へ進むことはあり得ない」と話すのを耳にして立腹。絶対に見返してやろうと猛勉強し、意地で東大理学部物理学科に進んだ。

 ただ、興味を持って入ったのではないため、理論物理は大の苦手。卒業時の成績は優が2つだけでビリだった。だが、同大大学院で先輩に勧められて取り組んだ宇宙線の中の素粒子を調べる研究で、実験物理に目覚めた。「これは面白い。理論物理は難しいが素粒子測定なら自分にもできる」と思った。素粒子物理学との運命的な出会いだった。

 こうして「物理屋人生」にのめり込み、研究に打ち込み続けた結果、ノーベル賞という最高の栄誉を勝ち取った。この経験から、若い学生には「本当にやりたいことを見つける努力をしなさい」と説き続けた。

 研究に臨む態度は厳格で、学生には鬼教授として接し、大学院生の研究発表を「幼稚園並み」と酷評したこともある。だが、いったん研究室を出ると面倒見のいいおじいちゃんに早変わり。自宅に学生を集めては、研究の話は抜きの酒宴をしばしば開いた。

 ニュートリノ研究は、すぐ社会に役立つことのない基礎研究だ。それでも小柴さんは「人類共通の新しい知的財産を増やすことが重要だ」と強調し、基礎研究の大切さを訴え続けた。

 ノーベル賞受賞後は、私財約4千万円を投じ平成基礎科学財団を設立。若手の基礎研究者の支援に注力した。自身でやりがいを見いだし、夢をかけた基礎研究を大切にし続けた一生だった。(伊藤壽一郎)

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